(歴史ライター:西股 総生)
れっきとした平山城
江戸城は平山城ですか、それとも平城ですか? と聞かれることがある。城の本を見ていると、江戸城は平山城だと書かれているのだけれども、写真や映像で見ると平城に思える、というのである。
念のために押さえておくと、平城とは平地に築かれた城だから、曲輪と曲輪との間には高低差がない。対して平山城は、丘陵や台地の上面から裾野の低地にかけて築かれた城だから、中心部と外周部との間に高低差がある。もっとわかりやすく説明するなら、大手口から坂道や石段を登らずに本丸まで行ければ城が平城。三ノ丸から二ノ丸、または二ノ丸から本丸に入るときに、坂道や石段を登れば平山城である。
なので、江戸城がどちらかを知りたかったら、実際に皇居に行ってみるのが手っ取り早い。東京駅または地下鉄の大手町駅から江戸城の大手門までは、坂道も何もない(駅の階段は別として)。大手門をくぐって三ノ丸から二ノ丸に入るときに、注意深く歩いているとゆるやかに登るのがわかるが、高低差が小さいので平城か平山城か判断に迷う。
はっきり判断がつくのが、二ノ丸から本丸に入るときだ。本丸へのルートはいくつかあるが、汐見坂から入ることをおすすめする。江戸城の縄張と占地が、よくわかるからだ。
二ノ丸から汐見坂に向かうと、左手に本丸の石垣が高くそびえている。汐見坂そのものも、ふだん運動不足の人なら軽く息が上がるくらいの急坂だ。本丸と二ノ丸の間に、かなりな高低差を体感できるだろう。
大手町あたりの標高は約3m、本丸の標高は18〜19mだから、15mほどの高低差が差があることになる。江戸城はれっきとした平山城なのである。「平城じゃないか?」と思ってしまう人が少なくないのは、江戸城の城域があまりに広大で、上空からの画像では相対的に高低差が目立たないからだ。
江戸城から海が眺められた?
さて、坂を登ると汐見坂門跡の枡形を通って本丸に入るが、急坂で息も上がったことだし、ちょいと足を休めて後ろをふり返ってみよう。いま歩いてきた三ノ丸や二ノ丸が下に見えて、江戸城が平山城であることを実感できるはずだ。
ここで気に留めたいのが「汐見坂」という呼び名。かつて、つまり徳川家康が江戸城に入った頃は、ここから海が眺められたから「汐見坂」というのである。いまでは、二ノ丸・三ノ丸の向こうには大手町や丸の内のビル街が広がっているが、昔はこのビル街のあたりは海だったのだ。
などと、往事に思いを馳せながら本丸に入る。本丸には、天守台や松の廊下跡といった見所が盛りだくさんだが、見落としてほしくないのが富士見多聞(御休息所前多聞)である。この多聞櫓は、江戸城で唯一、内部が一般公開されている建物だからだ。建物の窓からは蓮池堀を隔てて、春秋の通り抜けで知られる西ノ丸の乾通りを見下ろすが、汐見坂と同様、かなりの高低差がある。
本丸を一回りしたら、天守台の裏にある拮橋(はねばし)門から出る。巨大な平河濠を渡ったら北ノ丸公園を通り、武道館を右手に見送って、田安門から靖国神社の方へ歩いてみよう。堀を渡るときに左右を見回すとわかるが、このあたりは高台が続いている。
この高台は武蔵野台地だ。江戸城の本丸は、武蔵野台地が江戸湾に向かって岬のように張り出した突端部分に築かれている。本丸の南端に立つ三重の富士見櫓が堂々として見えるのも、富士見櫓の場所が台地のいちばん突端に当たっているからである。
江戸城の周辺は、今ではすっかりアスファルトやコンクリートで固められてしまっている。けれども、こんなふうに「地形」を観察しながら歩けば、江戸という都市の成り立ちに思いを馳せることができるのである。