これが当時の韓国の日常の光景だった。火炎ビンが飛び交うすぐ脇を、赤ん坊を抱いた女性が何事もないように平然と歩いて横切る。催涙弾の煙の中を、老人が目を押さえながら歩いている。

ガス弾や石が飛び交う中、赤ん坊を抱いた女性が通り過ぎる(写真:橋本昇)
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日本人の「キーセン観光」が引き裂いた韓国人の自尊心

 その話は学生食堂のチゲ鍋の臭いが漂うテーブルで始まった。韓国の学生たちの本音を聞きたくて、男女を交えた数人の学生とテーブルを囲んで話をしていた。その時の事だ。話は自然に彼らの日本人観になっていた。

「日本の男どもは戦前と同じ事をいまだにやっている。徒党を組んで女性を買いに来る。あいつらから見るとわが国の女性はみんな慰安婦に見えるらしい」

「そんな破廉恥なことをタイやフィリピンでもやっている。どうなってるんだ! あなたの国の男どもは!」

 現実を知っているだけに返す言葉が見つからなかった。

 確かにあの時代、日本から韓国への旅行といえば、圧倒的に多いのが中年男の団体ツアー。韓流ブーム以前の韓国旅行といえばすぐに頭に浮かぶのがキ―セン(隣に女性が座って飲み食いさせてくれる)と買春だった。「韓国に行ってくる」と言っただけで、まわりの男たちからある意味で羨ましがられ、一方では軽蔑される時代だった。

 時の韓国の外務大臣が「彼女たちは貴重な外貨の稼ぎ頭だ。何ら恥じる事はない」と発言したという話も聞いた。そんな現状に学生たちは苛立つ。「国は売春を奨励するのか!」

 実際、日本人は団体で行動するから目立った。中年男たちばかりの団体となればさらに異様だ。

 金浦空港から日本人団体客のバスに乗せてもらったことがある。15人ほどの乗客は全員男だった。

 バスが走り出して間もなく、ひとりが大声で韓国人女性ツアーガイドをからかった。

「今回の女はどうなっている? 若いのを用意しているんだろうな?」

 機内でもう充分に酒が入っている様子だ。女性ガイドは眉を寄せながらも笑顔で「お客さん、今バスに乗ったばかりですよ。その話は後で」と軽くいなした。

 ツアー客のテンションは上がりっぱなし。隣の席の男が「まずはホテルに着いて、ウォーカーヒルのカジノへ行く。夕食の焼肉を食ったら、後はお楽しみの時間」と、尋ねもしないのにスケジュールを教えてくれた。

 旅の恥はかき捨てというが、彼らに「恥」という認識はさらさらない。ただただタガを外した男たちだ。今では考えられないような光景だったが、当時を思い出すとやはり恥ずかしい。

 日本ではただの気の良い、普通のおじさんたちに違いない。そんな彼らの団体が、韓国で植え付けた、どこか卑屈で、一方で尊大な日本人のイメージ。韓国の人々は日本人の品性を疑ったことだろう。

「チョッパリは嫌いだ」と言い放つ彼らの言葉の奥に、戦前の日本人に対してだけではない、戦後の日本人への反感もヒリヒリと感じた。

 その怒りは「日帝時代の植民地支配を反省せよ」という理屈とは違う部分から来るものだ。当時の日本人は、韓国の人々の自尊心を平気で踏みにじった。特に正義感の強い若者の場合、日本に嫌悪感を持つのは当然だろう。

 そしてこの頃、学生運動で主導的役割を果たしていた人々が、現在の文在寅政権の中枢にいる。文大統領自身は少し上の世代になるが、学生時代にやはり民主化運動に参加し、逮捕・投獄された過去を持つ。文大統領も、そして文政権の幹部たちも、命懸けで闘った当時の記憶と日本やアメリカへの嫌悪感を、決して忘れてはいないだろう。