取材当時、釜山大学2年生という女子学生とも話をした。豊臣秀吉、西郷隆盛、伊藤博文、植民地支配、そして今、話は歴史を追っていき、彼女の口から「日帝」という言葉が話の端はしに飛び出した。

「今も昔も日本人は何も変っていない」、「釜山から見る海峡は狭いようだが、日本はとても遠いところ」と彼女は切れ長の知的な目をキリッとこちらに向けた。

 学生たちの運動は渦巻く激流となって韓国を呑みこんでいた。そしてそれに呼応して、韓国の民主化は、大河である漢江の流れのようにゆっくりとではあったが確実に進んでいた。

マルクスやレーニンを貪り読む

 1987年6月、大統領候補だった盧泰愚が民主化宣言を発し、その年の暮れの大統領選挙で勝利。翌88年1月、盧泰愚政権が誕生した。この年の9月にはソウルオリンピックの開催がひかえていた。国民の関心もオリンピックへと移っていた。

 民主化の担い手として支持を集めた盧泰愚だったが、しかし学生たちはその後も手放しで支持したというわけではなかった。

 盧政権になったある日、高麗大学のキャンパスで学生たちが何かに群がっている光景を目にした。学生の間から覗くと本が売られていた。並んでいるのはマルクスやレーニンだ。これまでは所持しているだけでもKCIA(韓国中央情報局)に逮捕されてしまう共産主義の本だった。

 学生たちは奪い合うように本を手にとり、食い入るように活字を追っていた。民主化の流れの中で学生たちはむさぼるように新しい知識を求めていた。

「共産主義の本が出回るとは思ってもみなかった。盧政権の余裕かな。ガス抜きかな。さすがに金日成はないけれど」と、一人の学生が笑顔を向けた。

 学生たちの定時的要求はその後も続いた。盧政権に対し特に求めたのは、「南北融和」だった。その運動もまた激しくなっていく。

「民族はひとつになろう!」。彼らは北朝鮮の掲げた高麗民主共和国構想を支持していた。集会が開かれ、アジテーションでは金日成が民族の英雄として賛美されていた。