集会に集まった学生たちは、韓国政府だけではなく、日本やアメリカにも批判を浴びせた。

「チョッパリは日帝時代の植民化政策を反省しろ! ヤンキーの軍隊はこの国から出て行け!」

 座り込んだ300人程の学生たちを前に、リーダーは日本やアメリカを激しい言葉で罵倒していた。

機動隊の前で気勢をあげる学生たち(写真:橋本昇)
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「民主化」と「北朝鮮との対話」

 当時は1980年の光州事件の記憶も生々しかった。それ以後も民主化運動は地から沸き起こる地震のように国を揺るがし続けていた。それがついに大きな嵐となって、まさに国中で吹き荒れていた。延世大学、高麗大学、ソウル大学などソウルにある主だった大学では3日と空けず集会が行われ、学生が機動隊とぶつかっていた。

 韓国の学生運動の特徴は彼らの主張の矛先が大学当局ではなく、大学の外の政権、国家権力に向けられていた事だ。スローガンは「国の民主化」、そして「北朝鮮との対話」だった。