1989年6月4日、とうとう北京で暴虐が起こった。あくる日、ニューズウイーク本社から電話があった。「北京が弾けた。学生たちがいっぱい死んでいる! 直ぐに行ってくれ!」。北京入りは天安門事件発生前から希望していたのに、ずっと聞き入れられなかった。それなのに今頃になって行けとは・・・。釈然としない思いもあったが、すぐに出発の準備に取りかかった。
【写真ルポ】天安門事件で後戻り不能になった中国の強権国家路線
監視国家に抵抗するのは今や少数民族だけ、人民が自由を諦めた日
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