江沢民、胡錦涛、温家宝には人間味を感じるところもあったが・・・
今年7月、結党から100年を迎えた中国共産党。
毛沢東時代の大躍進政策による1000万人以上ともいわれる餓死者の発生、チベット併合におけるチベット人の大虐殺、文革における夥しい犠牲者、そして天安門事件でも多くの犠牲者を生んだ。これらは歴史の負の遺産だ。
しかし、その歴史の黒い部分を今の中国の若者は知らない。というか知らされていない。
日本に留学に来ている若者に聞いても天安門事件の事は知らないという。さらに驚いた事に当時上海に住んでいたという中国人の友人の両親が日本に来た折に話したが、彼らは「えっ!」「何があったの?」と天安門事件の事を興味深く聞き、目を丸くしていた。
胡耀邦が推し進めていた「対話の時代」は天安門事件とともに消えた。胡耀邦の志を受け継いで総書記に就任した趙紫陽も天安門事件で失脚した。
事件後、中国は江沢民体制、胡錦涛体制と本格的な改革開放路線を突き進む。「豊かになれる者から豊かになればいい」と鄧小平は言った。
高級外車、インテリジェンスビル、溢れる商品、高級ブランド店・・・。メディアから流れる経済特区のリッチぶりは以前の中国のイメージを覆した。しかし東北部や黄土高原、雲南省などの貧村は変わらず生活に困窮していた。鄧小平は「豊かになった者が他の者も豊かになれるように助ける」とも言ったが、格差は拡がる一方だった。
江沢民も胡錦涛も政治の腐敗には手を焼いたが、それでも貧村や少数民族には比較的心を寄せていたという。
江沢民、胡錦涛、温家宝と中国の幹部が来日すると取材したが、彼らの市民と触れ合う姿に血の通った人間らしさを感じたのは確かだ。
しかし、習近平は違った。2009年、党副主席として来日した習近平を羽田空港で取材した。その時の印象を率直に述べると、ファインダーのフレームいっぱいに広がった切れ長の眼から発する薄笑いにある種の恐ろしさを感じた。その時は次のトップリーダーになる人物という以外に詳細は知らなかったが、その風貌から漂う強い意志の力と“只者ではない”感がはっきりとカメラの奥にまで伝わってきた。