果たして清朝時代の中国に「伊能図」があったか?

 李氏朝鮮時代の韓国・北朝鮮に関孝和の和算はあったか?

 関はニュートンやライプニッツより早く、全く独立に日本で微分法を編み出した数学者で「微分」という言葉も関の「発微算法」に由来するものと思われます。

 こういった国情に国際法のオランダ、世界帝国の英国が通じており、日本は決して侮ることができない最先端の科学技術国たり得る存在と牽制されたことが、20世紀以降の日本の圧倒的な発展を準備する、大きな背景になっていたのではないか?

 実は歴史を詳細に紐解けば、中国にも韓国にも伊能や関に当たる人物がいたのかもしれません。

 でも不幸にしてそういう人たちの仕事は世界に共有されず、アロー戦争以降の中国はますます帝国主義列強の草刈場となり、19世紀後半の李氏朝鮮の国情も末期的で、結局清朝の崩壊と前後して日本の併合という憂き目に遭うことになってしまいます。

 伊能も関孝和も、また明治以降の榎本も北里も、紀州藩の儒者の家に生まれた湯川秀樹博士にしても、およそ日本の政治的マジョリティではなかった。

 封建制度の中で体制内の「勝ち組」として胡坐をかいた集団ではなく、地球の本当の大きさと宇宙の構造に夢をもって何千万歩という距離を「歩いて」測量し、天体観測し、そうやって得られた「ファクト」に基づいて人類史の知見を前に進めてきたマイノリティ。

 少数の例外で、これら「カウンター・マジョリティ」が世界で最高の評価を受けることで、ここ200年来の日本が人後に落ちない国として、世界から一目置かれる存在であることを、許されてきたのではないか?

 ですから、そういう「本物」ファクトに基づいて世界をリードする、少数かもしれないけれど明らかにグローバルなイニシアティブを取れる「カウンター・マジョリティ」の人材を育て続ける「本物教育」の灯を絶えさせないことが、何より重要だと思うのです。