こういう制度で育てられ、浅い紙の上の知識でその場を誤魔化しただけなのに「人生の成功体験」と勘違いした人は、生涯の不幸を背負いかねません。

 と言うのは、断片的ペーパーテスト主体の教育で育った人には、応用力が欠ける場合が多いからです。

 一問一答で、すでに正解があるような質問には、とくとくとして答えます。この種の「人材」は「物知り」ではある。

 しかし、ほんのちょっとでも状況が変わると、こういう教育では応用が利かない人が少なくない。端的に言えば、過去問が存在しないと答えが出せない。「チャート式」で正解をあらかじめ教えてもらっていないと、何も答えが導けない。

 前例がないと判断業務を遂行できない。先例があればそれをなぞることでどうにか仕事を回していく・・・。

 こんなふうに書くと、だんだん実態が分かってくるかと思います。これは単に歴史の現実に過ぎませんが「典型的な後進国的教育」を率先して進めていたのは、実は明治以降の日本が筆頭といって過言ではないのです。

 「富国強兵」「殖産興業」――。近代日本が掲げたスローガンと、その元で薩長閥政府が推進した教育制度は、典型的な「ダメ人材育成」の制度でした。

 中国、韓国をはじめとする東アジア諸国は、何だかんだと言いながら日本を徹底して模倣します。例えば韓国の半導体産業にどのようなオリジナリティがあるか、どれくらい日本から丸々コピーしているか、といったことを考えてみると、実態は明らかと思います。

 日本のある種の人々が振り回す「ヘイト」中韓への嫌悪には、近親憎悪の面があるように思われてなりません。

 「元祖詰め込み教育」は日本にその根の1つがあります。そしてこの拙劣な教育は日本でも多大な負の遺産を作って来ました。

 「ゆとり教育」にしても、元来はそこからの脱却、つまり余裕のない浅い紙一枚のがり勉を克服するために有馬朗人、寺脇研といった人々が導入したもので、その志は元来大変立派なものだったのです。

 その結果がどうであったかは全く別ですが、本来の動機として教育を良くしようとして導入された改革であったことは間違いありません。