知的遺産の東アジアへの波及

井上哲次郎など著『哲学字彙 : 英独仏和』 出典/国立国会図書館デジタルコレクション

 西周が創造・定義したこれらの用語群は、後に井上哲次郎らによって、『哲学字彙』(1881)にまとめられ、日本の学界における標準語彙として定着した。西による言語的創造がなければ、我々日本人は西洋の複雑な思想や科学を深く理解し、それについて論理的に思考し、議論することさえ困難であっただろう。

 西の不滅の功績は、思想そのものを輸入したこと以上に、その思想を自らの頭で思考し、発展させるための不可欠な「道具」を、後世の我々に与えてくれた点にあるのだ。

 その影響は国内に留まらなかった。これらの和製漢語は、近代化を模索していた中国、そして朝鮮半島やベトナムへと逆輸入されていった。例えば、中国には和製漢語が1万語ほど逆輸入され、現代中国人は、この和製漢語がなければ会話が出来ないと言われている。

 これにより、「日本語→中国語→朝鮮語・ベトナム語」という、近代的な学術語彙の伝播チェーンが生まれた。これは、近代東アジアの国々が西洋の思想や科学を受容する上で、共通の知的基盤を形成したという事実から、世界語彙史上でも極めて重要な現象であったのだ。