池田長発
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(町田 明広:歴史学者)

池田長発を取り上げる意義とは

 幕末維新期を生きた幕臣である池田長発(いけだながおき)をご存じであろうか。多くの読者は、初耳かも知れない。まずは池田の写真を見ていただきたい。非常に精悍な容姿であり、筆者は「幕末きってのイケメン」ではないかと思っている。

 その池田が生まれたのは天保8年(1837)であり、よく知られた大塩平八郎の乱(大坂町奉行所元与力の大塩が、飢饉に苦しむ庶民の救済を求め幕府の無策を批判し挙兵した事件)が勃発した年である。乱は短期間で鎮圧されたものの、幕府の威信が大きく傷ついた時である。また、没したのは明治12年(1879)であり、琉球処分が断行され、自由民権運動が各地で活発に展開された時であった。

 池田は外国奉行にまで出世をとげ、文久3年(1863)には横浜鎖港談判のための全権として渡欧している。その体験を通じて、激しい攘夷家であったはずの池田は、世界観や国家観を劇的に転換させ、近世日本人から最初の近代日本人になった人物の1人となった。

 今回は、その池田長発に注目し、遣欧使節団の全権として、任務を遂行する経緯の中で、いかにして最初の近代日本人に成長したのか、その実相を3回にわたって深掘りしてみたい。