西郷隆盛像 写真/GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート
(町田 明広:歴史学者)
郷中教育が育んだリーダーシップ
西郷隆盛をはじめとする多くの才気あふれる志士たちが薩摩藩から輩出された要因は、藩特有の郷中教育という「学びのシステム」の存在にあった。薩摩藩に有名な私塾が存在しなかったのは、私塾が必要ないほどしっかりとしたシステムが確立されていたからであった。薩摩藩では、松下村塾は必要なかったのだ。
郷中教育は、武士階級が25%以上を占め、南国特有の荒くれ者である薩摩武士の謀反の芽を摘み、風紀の乱れを是正し、忠誠心(徳育)を涵養するために島津家によって生み出された。幕末期には、外国船の出没や琉球への通商条約要求といった対外的な危機的状況に対応できる人材育成が急務となり、このシステムが活用された。
郷中教育の最大の特徴は、鹿児島城下と地方の外城を合わせた約150の「郷中」を単位とし、青少年の自治組織である咄相中が教育を行った点にある。構成員は、小稚児(6~10歳)、長稚児(11~15歳)、元服した青年である二才(約25歳まで)、そして既婚の先輩である長老に分けられ、身分も年齢も異なる彼らがグループを構成し、知育、徳育、体育に励んだ。
西郷は下加治屋町郷中に所属し、大久保利通や吉井友実らと共に学び、二才頭となって、村田新八、大山巌、弟の西郷従道といった後進の指導にあたっていたのだ。
