エドアルド・キヨッソーネの著名な版画・西郷隆盛肖像。キヨッソーネは西郷に会ったことはなく、西郷の没後、弟の西郷従道といとこの大山巌をモデルに描いたといわれる
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(町田 明広:歴史学者)

西郷隆盛の誕生と呼称

 2025年1月から連載を始めた「幕末維新史探訪2025」、いよいよシリーズの最終回となるが、今回は西郷隆盛を取り上げたい。とは言っても、誰でも知っているような西郷の事績を紹介するのではなく、その生い立ちや青年期における思想の形成や指導力の涵養の過程を2回にわたって探ってみたい。

 文政10年(1827)12月7日、西郷隆盛は鹿児島城下の下加治屋町において、小姓組勘定小頭であった父、西郷吉兵衛の長男として誕生した。西郷は島津久光よりも10歳年下であり、盟友である大久保利通より3歳年上であったのだ。

 西郷の幼名は小吉、最も活躍した時期の通称は吉之助であった。他にも善兵衛、吉兵衛、三助と通称を変えており、奄美大島に潜伏していた際には菊池源吾や大島三右衛門とも称した。諱(いみな)はもともと隆永であったが、明治2年(1869)に宮内省が諱を問い合わせた際、盟友の吉井友実が誤って父の諱である「隆盛」を届け出たため、それ以降「隆盛」を名乗るようになったとされる。号には止水や、よく知られる南洲があり、謚(おくりな)は南州寺殿威徳隆盛大居士であった。