西郷家の家族と貧困

西郷隆盛の生誕地付近(鹿児島市加治屋町) ドリコノ, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 西郷家は祖父母、父母、そして弟4人、妹3人を含む11人の大家族であった。弟には後に海軍大将・元帥となる従道(三男)や、戊辰戦争で戦死した吉二郎(次男)、西南戦争で戦死した小兵衛(四男)が含まれる。

 しかし、西郷の人生の初期は不幸が続いた。嘉永5年(1852)には、7月に祖父、9月に父、11月に母が相次いで亡くなっているのだ。

 西郷家は城下士(武士)ではあったが、大家族を抱え、家計は常に火の車であった。冬の寒い夜には、兄弟で1枚の布団を引っ張り合ったというエピソードも存在する。西郷は20歳前後の頃、総額200両もの大金を借金して知行地を買い入れ、生活の安定を図ろうと試みたが、状況が好転した様子は見えない。

西郷の結婚と貧困の影

 この貧困は、彼の最初の結婚生活に大きな影を落とした。西郷は伊集院兼寛(海軍少輔・元老院議官・貴族院議員を歴任、子爵)の姉である俊(須賀)を最初の妻としていた。しかし、安政元年(1854)、西郷が江戸に出ている間に妻は実家に戻り離縁した。貧困に加え、西郷が国事周旋で留守ばかりしていたことが離縁の原因と考えられている。

 その後、西郷は安政6年(1859)に奄美大島で龍佐恵志の娘である愛加那と結婚し、菊次郎(後に京都市長などを歴任)と菊子を授かった。西郷が鹿児島に戻る際、島に残さざるを得なかったが、慶応元年(1865)には、岩由八郎太の娘である糸子と再婚し、寅太郎、午次郎、酉三をもうけている。西郷自身も、父に負けないほどの子宝に恵まれたのだ。

愛加那の肖像写真