(町田 明広:歴史学者)
明石博高と筆者の関わり
読者の皆さんは、明石博高(あかし・ひろあきら)をご存じだろうか。恐らく、初めてその名前を聞いたという方が多いのではなかろうか。かく言う筆者も、実は比較的最近になって、その存在を知ることになった。2022年に京都府立京都学・歴彩館において企画展「明石博高ー京都近代化の先駆者ー」が開催された。実はそれを機に、筆者も深く明石を知ることになったのだ。
主催者は、歴彩館に加え国際日本文化研究センター(日文研)と筆者が所属する神田外語大学であり、本学日本研究所の客員教授、松田清先生が企画から展示まで、そのほとんどを担われた。本企画展は、日文研が所蔵する「宗田文庫」、歴彩館の「明石博高文書」、神田外語大学の「若林コレクション」などから100点余りの歴史資料を展示し、明石の足跡をたどるものだった。
その際、開催記念シンポジウムが開催され、筆者もパネラーとして登壇した。与えられたテーマは、「幕末の明石博高」であった。登壇するにあたって、筆者も明石の人生を俯瞰して関心を持ち、そして、明石について深く知り、その偉大さを理解する機会をいただいた。今回は、幕末期の明石博高の動向を3回にわたって紐解き、関わりがあった志士を紹介しながら、その驚くべきネットワークを追ってみたい。