(町田 明広:歴史学者)
小松帯刀のイメージ——極端な知名度の低さからの脱却
読者の皆さんは、小松帯刀をご存じであろうか。小松と言えば、大河ドラマ『篤姫』(2008年)によって初めてクローズアップされた人物ではなかろうか。しかし、実像とはかけ離れた描写による、優柔不断な平和主義者的なイメージが定着した感が否めない。また、『西郷どん』(2018年)で再浮上したものの、消化不良な描かれ方に終始したと感じている。
小松について、これまでどのような文献類が存在したのだろうか。瀬野冨吉『幻の宰相 小松帯刀伝』(改訂復刻版、宮帯出版社、2008年)、高村直助『小松帯刀(人物叢書)』(吉川弘文館、2012年)をあげることが出来る。つまり、意外と最近の相次ぐ刊行によって、実像への接近が計られているのだ。なお、桐野作人「曙の獅子」(南日本新聞、2018~9年)といった連載小説なども登場している。
筆者は、小松帯刀を極めて高く評価している。小松なくして、西郷隆盛・大久保利通は存在せず、島津久光の活躍も不可能であると確信するからだ。文久・元治・慶応期の中央政局におけるキーパーソン的存在こそ、小松帯刀である。個人的には、「維新の三傑」(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)から「維新の双璧」(小松帯刀・木戸)への変更を提唱したいと、常々考えている。
小松の早世(明治3年、1870)により、新政府には外交のスペシャリスト、閣内調整役が不在となった。条約改正の長期化、明治6年政変や西南戦争が惹起したのは、小松不在が遠因ではなかったのか。今回は、幕末維新期の真のキーマンである小松帯刀の生涯を6回にわたって紐解いてみたい。