
(永井 義男:作家・歴史評論家)
江戸の常識は現代の非常識? 江戸時代の庶民の生活や文化、春画や吉原などの性風俗まで豊富な知識をもつ作家・永井義男氏による、江戸の下半身事情を紹介する連載です。はたして江戸の男女はおおらかだったのか、破廉恥だったのか、検証していきます。
江戸の実情に近い昭和24年の調査データ
図は、裏長屋の夫婦が昼間からしていると、訪ねて来た男が「ごめんよ」と声をかけながら、入口の障子を開けたところである。もう、丸見えではないか。江戸の庶民の住環境はこんなものだった。
さて、江戸の春画や春本、洒落本(風俗小説)などのフィクション、さらには随筆や風聞集、紀行文などのノンフィクションを根拠や題材にして、江戸時代の性について書いている本は多い(筆者も、そのひとりだが)。
上に述べたフィクションやノンフィクションが手がかりになるのはたしかなのだが、いかんせん、客観的な数字にもとづくデータがない。江戸時代、武士や庶民、あるいは未婚・既婚の男女を対象にした性生活の調査など行われたことはないのだから、当然と言えば当然であろう。
とはいえ、江戸時代の性に、なんとか客観的なデータから迫ることはできないだろうか。以前から考えていたことだが、つい最近、筆者はハッと気づいた。
書棚に、かつて古本屋で買った『日本人の性生活』(篠崎信男著、文芸出版、昭和28年)を見つけたのだ。
同書が刊行された経緯は興味深いものの、あまりに長くなるので割愛するが、著者の篠崎信男は厚生省人口問題研究所(国立社会保障・人口問題研究所の前身)の所長を務めた人物である。とりあえず、同書がまじめな書物であることだけを述べておこう。
さて、同書が刊行された昭和28年(1953)は、太平洋戦争の敗戦からわずか8年後である。高度経済成長に入る前で、まだ「戦後」の時代だった。しかも、刊行は昭和28年だが、調査が行われたのは昭和24年(1949)からである。
国民はみな貧しかった時代だが、その生活水準を性の観点から述べよう。
1.住宅事情は劣悪で、夫婦の寝室など望むべくもなかった。多くの夫婦は、狭い部屋で小中学生の子供と一緒に寝ていた。
2.子供が三人以上いる夫婦は珍しくなかった。
3.妻はほとんどが専業主婦だった。
4.かまどや七輪で飯を炊き、洗濯は手荒い、電気冷蔵庫も掃除機もなく、家事労働はすべて妻が担っていた。
5.娯楽は極端に少なく、家庭で夜の楽しみと言えばラジオか、エロ本を含む読書しかなかった。
6.避妊や性病に関する知識が少なかった。
上記の特徴を見て、何か気づかないだろうか。
そう、裏長屋で暮らしていた江戸の大部分の庶民と、生活水準や状況はほぼ同じなのだ。
ということは、『日本人の性生活』に掲載されているデータは、江戸の庶民の実情とほぼ同じと見てよいのではあるまいか。