岩倉具視

(町田 明広:歴史学者)

幕末維新人物伝2022(24)孝明天皇は毒殺されたのか①https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72970
幕末維新人物伝2022(25)孝明天皇は毒殺されたのか②https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72972
幕末維新人物伝2022(26)孝明天皇は毒殺されたのか③https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72973

当時からささやかれた毒殺説

 慶応2年12月25日(1867年1月30日)の孝明天皇の急逝は、その当時から様々な憶測を呼び、以後150年にわたって病死か毒殺かをめぐって議論されてきた。ここまで考察した通り、筆者は病死説が有力と判断しているが、とは言え、最終決着ということではない。

 孝明天皇の崩御直後から、毒殺説は囁かれていたらしい。それがはっきり分かるのが、イギリス外交官として活躍したアーネスト・サトウの証言である。「天皇陛下は天然痘にかかって死んだという事だが、数年後、その間の消息によく通じているある日本人が私 (サトウ)に確言したところによれば、天皇陛下は毒殺されたのだ」(『一外交官の見た明治維新』)と明言している。

 その理由としては、「外国人に対していかなる譲歩を行う事にも、断固として反対してきた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって、朝廷が否応無しに西欧諸国と直接の関係に入らざるを得なくなる事を予見した人々によって、片付けられたというのである」とする。しかし、既に通商条約は勅許されており、このような動機のみで毒殺に至ったということは、考え難いのではないかと考える。