孝明天皇

(町田 明広:歴史学者)

幕末維新史の謎、孝明天皇の崩御

 慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇が急逝された。幕府を庇護していた天皇の崩御は、あまりに突然であり、在位21年、36歳という若さであった。その後、1年程度で260年も続いた幕府が倒れたため、その死を巡っては、当時から毒殺ではないかと疑われてきた。幕末最大のミステリーの一つであろう。

 孝明天皇の崩御は、その後の歴史に極めて大きな影響を与え、明治維新を一気に早めたとも言える、歴史的な大転換と言える事象である。しかし、その死因については、いまだに病死・毒殺といった諸説が存在していると認めざるを得ない。

 今回は4回にわたって、孝明天皇の死亡理由の実相に迫り、病死であったのか毒殺であったのか、その謎の解明に挑戦してみたい。また、毒殺説の場合、黒幕の1人とされてきた岩倉具視について、そもそも、なぜ岩倉が疑われたのか、本当に岩倉が毒殺に関与した証拠があるのか、その真相にも迫りたい。