『國文学名家肖像集』より、平沢常富

(鷹橋忍:ライター)

今回は大河ドラマ『べらぼう』において、出羽国久保田藩(秋田藩)の藩士で、人気戯作家の朋誠堂喜三二でもある、尾美としのりが演じる平沢常富(ここでは平沢常富で統一)を、取り上げたい。

宝暦年中の色男

 平沢常富は享保20年(1735)、江戸で生まれた。

 寛延3年(1750)生まれの蔦屋重三郎より、15歳年上となる。

 父は幕府寄合衆の家士・西村家の西村平六久義、母は黒川兵右衛門武貞の娘である。

 父・西村平六久義も黒川氏も、寄合衆・佐藤三四郎豊信の家士だった。

 8歳の時に俳諧、鼓を習い、神童と称されたという。

 寛延元年(1748)、14歳の時、秋田藩江戸詰の平沢常房に養子入りし、名を常富とした。

 平沢家は、愛洲陰流剣術の開祖・愛洲移香斎の子孫の家系だという(以上、井上隆明『喜三二戯作本の研究』)。

 平沢常富は秋田藩士として、出世コースを歩んでいく。

 御小姓、御勝手世話役、御刀番などを経て、安永7年(1778)、44歳で留守居助役となった。その後、留守居本役を経て、天明4年(1784)に留守居役筆頭に就任する。

 留守居役は江戸の藩邸に住み、幕府や諸藩との折衝や情報収集などを担う、いわば藩の外交官である。

 その留守居役の筆頭である平沢常富は、秋田藩江戸屋敷の重役クラスだという(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。

 留守居役となる以前の宝暦7年(1757)、23歳の頃から平沢常富は吉原で社交を重ね、通人を気取って、「宝暦年中の色男」を自称し(井上隆明『喜三二戯作本の研究』)、吉原遊びを謳歌していたようである。