
(鷹橋忍:ライター)
今回は、大河ドラマ第11回『富本、仁義の馬面』に登場した、寛一郎が演じる富本節の人気太夫・富本豊志太夫(富本午之助/第12回より富本豊前太夫/ここでは富本午之助で統一)を取り上げたい。
富本節とは
富本午之助は、宝暦4年(1754年)に生まれた。
寛延3年(1750)生まれの蔦屋重三郎より、4歳年下となる。
父は、富本節の初代・富本豊前掾(とみもとぶぜんのじょう)だ。
富本節とは、三味線の伴奏による語り物(
午之助の父・富本豊前掾は、本名は福田弾司、
富本豊前掾は、豊後節の始祖・宮古路豊後掾(
豊後節が禁止された後に、同門の文字太夫が延享4年(1747)
しかし、富本豊前掾は寛延元年(1748)に常磐津節から分派し、富本節を樹立。当初は富本豊志太夫を名乗っていたが、翌年に受領し、富本豊前掾を称した(服部竜太郎『日本音楽史 伝統音楽の系譜』)。
富本節は重々しくなく、詞章も難解ではなく、節回しは艶があり、曲調も華やかであったという(武田製版所八十周年記念史編纂委員会編『武田製版所八十周年記念史』所収「添章 富久田家(富本)の系譜」)。
宝暦10年(1760)には、再び受領して筑前掾となり、名声が高まるも、一般には「富本豊前掾」として知られている。
富本豊前掾は、明和元年(1764)10月22日、49歳で没した。
豊前掾は「豊前太夫」を名乗った記録はないが、彼の実子・富本午之助が「二代目・豊前太夫」と称したため、「初代・豊前太夫」に数えられることが多い。