
(スポーツライター:酒井 政人)
筆者も過ごした旧寮の思い出
箱根駅伝で70回の出場を誇る古豪・東農大。昨年の箱根駅伝予選会は1秒差で落選したが、チームにとって待望の施設が誕生した。世田谷キャンパスのすぐ隣に「青雲寮」が竣工し、2月25日に落成式が行われたのだ。
青雲寮は運動部の寮として、50年ほど前から存在していた。旧寮は現在60歳の小指徹監督も学生時代に過ごしている。
「1年時は旧・青雲寮に住んでいたんですけど、収容人数の関係で2年時からは近くのアパートで自炊生活。当時、一番困ったのが食事でした。走りながら今日は何を食べようか考えていました」と学生時代は苦い思い出がある。2018年にコーチとして母校に帰ってきたときも、「私の学生当時と同じ建物で、選手はずいぶん不便しているなと感じました」と振り返った。
東農大陸上部OBの筆者も小指監督と同様、1年時は青雲寮で生活をした。1995年のことだ。当時は柔道部、空手部、ホッケー部なども一緒だった。陸上部は2階の6部屋が割り当てられており、畳が9枚敷かれた1部屋を3人でシェアした。エアコンはなく(なぜかエアコンがある部屋もあった)、テレビはひとり1台。あとは個々が折り畳み式のちゃぶ台を持っており、川の字で寝ていた。
朝練習は6時30分、本練習は16時20分。1年生は朝練習が30分前、本練習が45分前集合で、昼休みにグラウンド整備(現在はオールウエザートラックだが、当時は土だった)があった。加えて、食事当番があり、陸上部寮生のおかず(肉と魚を交互)をお店に依頼して、副菜、野菜サラダ、納豆(と卵が交互)、味噌汁を自分たちで用意した。
始めは戸惑うことが多かったが、住めば都でなんだかんだで、楽しかった記憶が強い。しかし、令和では明らかに時代遅れだった。