2025年2月24日、大阪マラソンで総合4位、日本人2位に入った細谷恭平 写真/長田洋平/アフロスポーツ

(スポーツライター:酒井 政人)

JMCシリーズⅣ王者をめぐって小山と細谷が激突

 大阪マラソン2025で“熾烈な日本代表争い”が繰り広げられていた。その渦中にいたのが小山直城(Honda)と細谷恭平(黒崎播磨)だ。

 東京世界陸上の代表は最大3枠。そのうち1枠はJMCシリーズⅣのチャンピオンが内定(※参加標準記録を突破するか、基準ワールドランキングで出場資格を満たすのが条件)を得ることができるからだ。その他は有効期間内に日本記録(2時間04分56秒)を更新し、東京マラソン終了時に最も記録の良い選手。残りは、選考レースで参加標準記録(2時間06分30秒)を突破した選手のなかから記録、順位などを総合的に判断し、本大会で活躍が期待されると評価された選手が選出される。

 JMCシリーズは対象大会に「記録」と「順位」がポイント化され、成績上位2大会のポイントで争う。小山と細谷は規定のレース数に足りていなかったが、大阪を完走すれば、小山が2766pt、細谷が2761ptとなり、トップに立っていた西山雄介(トヨタ自動車)の2746ptを上回るという状況だった。

 さらに小山は細谷に先着すればランキングトップは間違いなく、細谷は日本人トップを奪うことができれば“逆転”の可能性を秘めていた。そして小山が27km付近で遅れ始めて、細谷にビッグチャンスがめぐってきた。

32kmで遅れた細谷が巻き返すも日本人2位

 初の日本代表を目指して細谷恭平(黒崎播磨)は燃えていた。大会前のインタビューでは、「自分から積極的に行きたい」と話していたが、32km手前の上り坂で苦しくなる。

「かなり余裕を持って走っていたつもりなんですけど、上り坂を迎えたら、自分の思っていた状態と違っていました。仕掛けるつもりでしたが、脚が動かなくて、脚が止まってしまったんです……」

 それでも細谷はあきらめていなかった。

「余裕はなかったですけど、マラソンはきつくなったりラクなったりの繰り返し。ラスト10kmで大きく順位も変わります。日本代表への思いもありましたし、あきらめずに追いかけていけば何か起きるんじゃないかなと思っていました。30km(1時間28分56秒)の通過で1分ぐらい貯金もありましたし、ガタッと落ちなければ参加標準記録の2時間06分30秒は間違いない。あとは順位。日本人トップという課題があったので、そこだけを狙ってがむしゃらに走りました」

 終盤、細谷は持ち味の粘りを発揮する。35km通過時では8秒遅れていたが、37.8km付近で先頭集団に追いついた。しかし、近藤亮太(三菱重工)のスパートに対応できない。それでも自己ベスト(2時間06分35秒)を更新する日本歴代7位の2時間05分58秒で4位に食い込んだ。

「4年ぶりの自己ベストですし、5分台を出すことができて、次につながる自信になりました。その点は良かったと思います。日本人トップであればJMC枠のチャンスもあったんですけど、今日の結果では東京世界陸上の代表は難しい。今年で30歳になりますが、自分のなかで伸びしろはあると思っています。日本代表への意欲はあるので、あきらめずに次のチャンスにトライしていきたい」