2021年にドメーヌ バロン ド ロートシルト ラフィット社のCEOに34歳で就任したサスキア ド ロスチャイルド氏。歴代最年少当主にして初の女性当主として、ワイン界の最高峰・メドック1級のワイナリー「シャトー ラフィット・ロートシルト」を率いる。この人物はどんな経営者でどんなワインを理想としているのか? JBpress autograph編集長・鈴木文彦がたずねた。

世界一のワイン

少なからず驚いたのは、それがモダンなワインだと感じられたことだ。

"それ"と言うのは「シャトー ラフィット・ロートシルト」の2018年。参考価格で1本14万円。スゴい値段だけれど、これはもう値段の問題じゃない。「シャトー ラフィット・ロートシルト」を畏怖しないことは私には難しい。

このワインを造っているのは世界にたった5つしか存在しないワイナリーの頂点「メドック1級シャトー」のひとつであり、その筆頭とすら称される「シャトー ラフィット・ロートシルト」。そして「シャトー ラフィット・ロートシルト」というワイナリーと同じ名前のワインは、その最高峰だ。

歴史、文化、経済にこれまでに及ぼし、今も及ぼし続けている影響力も含めて、これが世界一のワインの最新作だと言っても、異論はそう簡単には出ないだろう。

このクラスのワインは「偉大なるボルドー」などとも呼ばれ、世界中のワイナリーにとってのベンチマークでもある。南仏、イタリア、カリフォルニア、チリ……世界中の名産地がその技術の粋を集めて偉大なるボルドー風赤ワインを造り、ジャーナリストや名門レストランの下した評価は、ワイナリーの経営を左右する。群雄割拠のなかで高評価を獲得する偉大なるボルドー風赤ワインは、まさに圧倒的だ。荘厳で、華やかで、奥深く……ときに常識で考えれば相反するはずの要素を昇華し、この世の不可能を可能にする人の起こした奇跡を見せつけることすらある。

それらの目標なのだから、当のメドック1級シャトーにしても、それ相応のプレッシャーがあるはず、と私は考える。にもかかわらず「シャトー ラフィット・ロートシルト」の2018年から、気負いのようなものは全然、感じ取れなかった。全体を貫くのは清涼で、うっかりすればシンプルとすら言いたくなるほどの明快さ。その解放的なセンセーションからは澄み渡って一点の曇りもない冬の青空のような自由を感じた。

「これがラフィットのスタイルなんですか?」

これほどのワインをそうそうは口にできない私の口をついたその言葉に

「そうよ。これがラフィットのスタイル。私たちがずっと守ってきた大切なテロワール」

晩冬のある晴れた昼前。部屋に差し込む明るい光が、この発言をした女性にも、彼女のワインにもよく似合う、と私は感じていた。

彼女の名前はサスキア ド ロスチャイルド。ドメーヌ バロン ド ロートシルト(DBR) ラフィット社のオーナーでありCEOだ。同社初の女性CEOかつ史上最年少当主。生まれの特殊性は彼女が選んだものでもないし、この際、脇に置くとしても、フランス最高峰のビジネススクールの修士で、ニューヨーク・タイムズのジャーナリストだったこともあるワインメーカーという経歴は、なかなかに風変わりな彼女の生き方を物語っているようにおもえる。

「これはラフィットだけの話ではなくて……」

サスキアさんはそんな私の雑念をよそに話を続ける。彼女のフランス語は上品だけれど年齢相応かそれ以上の若々しさがあって、パリの街角のカフェで、美味しくないノワゼットコーヒーを小さなスプーンで意味もなくクルクルかき混ぜながら話をしているかのような錯覚を覚える。

「1990年代にボルドーはブドウを植えすぎた。1970年代くらいまで、ボルドーはポリカルチャー、つまりブドウだけでなく野菜も育てていたし、雑草も生えていれば木々もあった。それを全部抜いて、一面、ブドウ畑にしてしまったのはワイン人気、もちろん経済的な理由があるのでしょうね。でも、大きな問題があって、私たちは経験的にブドウ畑には区画・区画の個性がある、と知っていた。その区画の把握はとても正確で、現代の科学的な土壌調査の結果ともほとんど合致している。でも、隙間なくブドウだらけにしてしまったら、その区画の感覚は、どうしたって薄れていってしまう」

サスキアさんの資料から1707年のシャトー ラフィット周辺の地図。ラフィットは古いガスコーニュ語で小高いところを意味する「La Hite」から来ているとされるが、この地図では「La Fuitte」という一風変わった綴になっているのも面白い(当時のフランス語は今ほど厳密ではなかった)
2000年代の同エリアの航空写真

補足すればシャトー ラフィットは、畑を区画に分けて管理し、ブドウを分別、それを組み合わせる(アッサンブラージュする)という今では広く普及した手法の元祖のような存在だ。

「それはワインからテロワールの個性を奪う結果につながるし、かつては周囲のブドウ以外の様々な自然が保っていたバランスを崩してしまう。そうなったところで、不足を補うために人工的な手段で畑をいじっていったら、もう、どこで造ったって一緒じゃない?」

「だから私は、植えすぎたブドウの木は抜いて生け垣のようなものを作って、ブドウ畑の周囲を森にしたり、下草を残したりしている。それが私がラフィットでやった何か新しいことか? と言えば、少し前がちょっと変だったから戻そうとしている、と言う方が私にとっては近い」

つまり、2018年の「シャトー ラフィット・ロートシルト」は正真正銘、本物の「シャトー ラフィット・ロートシルト」である、ということなのだった。なるほど。

新旧論争

それはそれとしてサスキアさん。「シャトー ラフィット・ロートシルト」といえばラグジュアリーなワインですよね? サスキアさんは経営者でもあるし、消費者に対して、ブランドとして、どうとかこうとか、と新世代の当主としてのスローガンのようなものはないんでしょうか?

「ふうん。事前にもらった質問にも、ラグジュアリーなワイン、っていう言葉が使われていて、気になったのよね。究極的な話、私はワインはどこまでいってもラグジュアリーにはならないとおもっています。ラグジュアリーの概念があてはまるのは、バッグとか……お洋服? そういうプロダクトじゃないかしら?」

ワインはプロデュース(農産物)ということですか?

「うーん。ラグジュアリープロダクトというのは、職人技の極みをもって何度でも作れるものでしょう? でもワインはもっと細い線の上に乗っているユニークなもの。本質的な考え方としては、ワインは今でもボトル一本一本で違うものだとおもいます。だから、プロダクトの感覚とは合わない。ワインを決めるものはやっぱり自然で、そこを無理やりプロダクトとして捉えようにも、製造段階で人間が関われる範囲が狭すぎる。ワインを決定づけるのは何よりテロワール、その年の土地、地域、気候。人間の判断があるのは、その外縁」

とはいえシャトー ラフィット・ロートシルトが一本一本違いますとか、年によって、時期によって品質がてんでバラバラです、ということはないし、あってはならないのではないですか?

「だからこそよ。生物の環境を整えるのは不確かな自然を確かなものにしようとする努力。そして私たちは、たくさんのアッサンブラージュをしています。みんなで知恵を絞って、多くの意見を出し合って、シャトー ラフィット・ロートシルトにふさわしいワインを生み出そうと努力している」

「それはワインにも表れているとおもっているわ。2018年のラフィットのごく近くのワイナリーのワインたちは、もっと豊かな印象があるんじゃないかしら。私たちのワインは、アロマティックでデリケート」

現在、ワインは伝統的で保守的なスタイルと、革新的なスタイルとが両方あるように感じています。このワインは、どちらかというと後者に近い印象を私は受けるのですが……

「これは私たちの伝統的なスタイルだと私はおもっています。私たちはボルドーの中でもずっとバランスを求め続け、力を、権力を求めなかった。でも、ある時期のボルドーは力を求めた。大柄な体格の立派な男性のようなイメージをボルドーが求めた時期があると私はおもう。でも私たちはそういう流行には乗らなかった」

2018年が特別、ということではないんですね。

「いいえ、この子は特別よ! まず、ロスチャイルド家がシャトー ラフィットのオーナーになって150周年目の記念すべき年のブドウから生まれたワイン。それにね、この子はほんとに手のかかる子だった。まさに"恐るべき子ども"で、冬から夏まで、雨は降るわ、風は強いわ……でも7月の中頃になって、暑い夏ではあったけれど、そこからはもうスゴいの。収穫まで本当に最高で、太陽をいっぱい浴びて育った。温暖化が叫ばれるようになって以来、最高に美しいワインかもしれない。そもそも、ラフィットには有利なところがある。ボルドーの多くのワイナリーが温暖化でアルコール度数が上がって、味わいや香りが豊かになり過ぎてしまう悩みを抱えがちな中、ラフィットの畑の多くは小高いところにあって涼しいから、その問題の深刻度が高くない。もちろん、太陽の輝きを感じる側面はこのワインにあるとおもう。だけれど、フレッシュで、さわやかで、精密な軽快感が感じられるのが2018年だと私はおもっているわ」

ロスチャイルド家がシャトー ラフィットを手に入れたのは1868年。その1年前にこの世を去ったフランスの詩人であり美術批評家のシャルル・ボードレールは、芸術における現代性を、時代によって移ろうもの、儚いものが半分、もう半分が不変のもの、と言った。この定義が、20世紀の「芸術とは何か?」という極めて本質的な問いを巡る壮大な議論と試行錯誤の歴史のバックグラウンドをなしたのだけれど、私は、サスキアさんの、そしてシャトー ラフィット・ロートシルトが求めていることは、この現代性の問いに近いところにあるのではないか? だから、私はこのワインをモダンだと感じるのではないか? と考えた。