
『マネジメント』(ダイヤモンド社)をはじめ、2005年に亡くなるまでに、39冊に及ぶ本を著し、多くの日本の経営者に影響を与えた経営学の巨人ドラッカー。本連載ではドラッカー学会共同代表の井坂康志氏が、変化の早い時代にこそ大切にしたいドラッカーが説いた「不易」の思考を、将来の「イノベーション」につなげる視点で解説する。
今回は、ドラッカーのマネジメント論とヤマト運輸の改革を通じ、「責任」と「企業文化」の関係を探る。
課題、責任、実践
ドラッカーが語ることは実にシンプルである。
1973年にアメリカで刊行されたドラッカーの大著『マネジメント』には、副題が付されている。「課題、責任、実践」というものだ。三つの単語が並んでいるが、見方によっては、「課題」(Tasks)と「実践」(Practices)との間を「責任」(Responsibility)が取り持って、両岸に橋を架けようとしているとも解釈できる。この「責任」はドラッカーがマネジメントを機能させる上でのまさに要石である。
「責任」などと聞くと、「当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。しかし、このような定量化できない当たり前の事柄の積み重ねが企業文化をつくっていくのであって、その当たり前がまったく当たり前ではないのだ。
責任とは生産性に対するのみではない。社会に貢献し、未来のリーダーを創造する責任でもある。
大切なことは、仲のよさではない。人柄のよさでさえない。仕事ぶりのよさでなければならない。人は誰しも、友達をつくりに会社に行っているわけではない。成果を上げることで責任を果たすために会社に行くのだ。
にもかかわらず、ことの外、人間関係を大事に感じるのは、人がいかに容易に情や好悪に流されるかを見れば分かる。とかく会社が人情論に傾きがちなのは、日本特有の傾向ではない。その証拠に、贈収賄や情実などの腐敗は世界中に見られる。だが、マネジャークラスになるとそれでよしというわけにはいかない。
ドラッカーは言う。