小倉昌男氏(1996年撮影/共同通信社)

 国土交通省の発表によると、2022年度の宅配便取扱個数は、50億588万個と初めて50億個を突破した。コロナ禍もあり、ECの拡大が個数の増加につながった。今では年に1度も宅配便の世話にならない人は皆無といっていいが、この歴史は1976年に宅急便を始めた小倉昌男・ヤマト運輸社長から始まった。日本人の生活は小倉氏によって大きく変化したのである。

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2023年9月12日)※内容は掲載当時のもの

宅急便の登場で人々は「手ぶら」の喜びを得た

 今、運輸業界では「物流2024年問題」が大きな課題となっている。これは、来年(2024年)4月からトラックドライバーの残業規制が強化され、物流業界で人手不足が起きると予想されている問題だ。物流各社はその対策に追われており、ヤマト運輸では、この6月から翌日配送地域を縮小、翌々日配送地域を拡大した。

 このように、「荷物を送れば翌日には到着する」という常識が、実はそれほど簡単なものではないことを、2024年問題は炙り出した。

 この翌日配送が常識となったのは、ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)二代目社長の小倉昌男氏(1924─2005)が1976年に宅急便を「発明」してからだ。だからたかだか40年弱しか経っていない。

 それまで個人が荷物を送る場合、郵便小包を利用するのが一般的だった。その場合、荷物が到着するのは早くて2日後、3、4日かかることも珍しくなく、送り手はそれを逆算して発送していた。だから宅急便が登場するまではそれが常識であり、特に不便も感じていなかった。

 その常識を、宅急便は一気にひっくり返した。送った荷物が翌日、確実に目的地に届く。その便利さに気づいた人は二度と郵便小包には戻らなかった。宅急便が普及するにつれ、人々の生活スタイルも大きく変わったのである。

 例えばスキー列車の光景。1980年代から1990年代にかけて日本は空前のスキーブームを迎え、週末には何本ものスキー特別列車が編成されたが、その車内は乗客が持ち込んだスキー板であふれていた。スキー板の長さは1.5~2m。重さは5kg近くある。しかもスキーブーツも一足で5kgほど。つまりスキーに楽しむには10kgの荷物を持ってスキー場まで往復しなければならなかった。

 この光景が1983年に誕生したスキー宅急便によって一変した。今、列車でスキーに行く人で、スキー板を持って移動する人はほとんどいなくなった。スキー宅急便の翌年にはゴルフ宅急便がスタートし、ゴルファーの負担も大きく軽減された。

 今では旅行先で買った土産を宅急便で送ることは常識であり、着替えなど旅行道具一式を前もってホテルに送る人も珍しくない。つまり、宅急便の登場で、人々は「手ぶら」という喜びを手に入れることができた。

 日常生活も大きく変わった。郵便小包を出すには、郵便局まで荷物を自分で運ばなければならなかった。しかし宅急便は電話一本でヤマトのドライバーが自宅にまで荷物を受け取りに来てくれる。この利便性は従来なかったもので、誰もが気軽に荷物を発送できる時代が、宅急便とともに到来した。

 翌日に確実に届くから、田舎の母親が都会に住む子供に新鮮野菜を送ることも可能になった。また到着日が確定しているため、誕生日プレゼントなどのギフトも不安なく送ることができる。こうして宅急便は日本国民の日常に不可欠なものになっていった。