佐治敬三氏(撮影:横溝敦)

 今から36年前、サントリー(現サントリーホールディングス)は、佐治敬三社長のひと言でとんでもないピンチを招いたことがある。当時主力だったウイスキー事業も低迷、前途が危ぶまれたが、それを救ったのが、佐治氏が種を蒔き、育ててきたもう一つの事業の柱だった。

大商会頭時代に「遷都問題」で批判を浴びた佐治氏の発言

 今や3兆円企業に成長したサントリーホールディングス。その礎を築いたのが創業者・鳥井信治郎氏の次男で2代目社長の佐治敬三氏だ。

 前編(ウイスキーを大衆化させたサントリー、佐治敬三の卓越したマーケティング力/2024年2月5日公開)では佐治氏の元に多士済々のタレントが集結したこと、その求心力となったのが、佐治氏の明るさと人懐っこさ、そして人を楽しませようとするサービス精神にあったと紹介した。

 佐治氏の周囲は笑いが絶えなかった。インタビュー中でもジョークを飛ばして取材者を笑わせる。パーティーのスピーチなどお手の物で、満場、笑いで包まれた。とにかく、その場にいる人を和ませたい、笑顔にしたいというサービス精神にあふれた経営者だった。

 しかしそれが時には裏目に出る。

 1988年2月2日。近畿商工会議所連合会が「地球時代の近畿の役割を考える」というシンポジウムを開いた。佐治氏はそこで講演した。当時佐治氏は大阪商工会議所会頭を務めていた。つまり近畿商工会議所連合会の事実上のトップである。

 この講演で佐治氏は「東北は熊襲(くまそ)の産地。文化的程度も極めて低い」とスピーチした。

 時代はバブルのピークに向かいつつあり、東京の地価は高騰、「山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買える」とまで言われた。この異常なまでの東京一局集中を是正するために遷都が真剣に議論されていた。

 これに手を挙げたのが関西だった。関西には古の都、京都、奈良がある。商都大阪も控えている。関西こそ遷都先の最有力候補と地元の人たちが考えるのは当然で、このシンポジウムでも遷都問題は大きなテーマだった。

 だだし手を挙げていたのは関西だけではなかった。東北も首都移転先の有力候補で、両地方はしのぎを削っていた。関西財界人代表である佐治氏にしてみれば、なんとしても関西遷都を実現したい、東北に負けるわけにはいかない、という意識が根底にある。しかも会場にいるのは関西地方の商工会議所のメンバーばかり。いわば身内の集まりだ。そこで受けを狙って言ったのが前述の熊襲発言だった。

 本来、この発言はこの場止まりのはずだった。ところがシンポジウムから1カ月近くたった2月28日、TBSの「報道特集」が遷都問題を取り上げ、佐治氏の発言を紹介。これにより熊襲発言は全国の人が知ることとなり、揶揄された東北地方の人々は激高した。

 佐治氏の発言はあくまで大商会頭としてのもの。しかし東北の人たちはサントリー社長の発言と受け取り、サントリーの不買運動に走る。秋田県では県知事の指示により一部公共施設でサントリー商品を取り扱わなくなったほか、サントリーは東北地方でのテレビCM出稿を見送らざるを得なくなった。

 そのため佐治氏は3月半ばになり発言を謝罪。それでも東北地方での抗議は続き、東北地方でのサントリー商品の売り上げは激減した。