福地茂雄氏(2004年撮影、写真/横溝敦)

「アサヒビールの奇跡」を営業の最前線で後押し

 アサヒビール(現アサヒグループホールディングス)で社長、会長を務めた福地茂雄氏が1月29日に亡くなった。89歳だった。

 経済界には時として「奇跡」が起きる。倒産寸前の会社が1人のカリスマ経営者の登場により劇的に蘇ったり、従来にない商品により市場を開拓して業界シェアを逆転したりするケースなどだ。

 その中でも最大の奇跡と言われているのが「アサヒビールの奇跡」だ。1980年代のビール業界のシェアを大雑把に言えば、キリンビールが60%、残りの半分をサッポロビール、さらに残りを3位アサヒビールと4位サントリーが分け合う構図。しかもアサヒは長期低落傾向にあり、3位の座さえも奪われかけていた。

 そんな状況下の1987年にアサヒが発売したのが「スーパードライ」。それまでのビールはキリンの「ラガー」に代表される苦さを楽しむものだったが、スーパードライは「辛口」という新しいコンセプトを前面に押し出した。

 これがビールファンだけでなく、「ビールは苦いからいや」という人たちにも受け入れられ大ヒット。毎年シェアを伸ばしていき、1997年に単独ブランドとしてスーパードライはキリンラガーを逆転。さらに1998年、企業別シェアでアサヒはキリンを逆転して業界首位に躍り出た。

 以上が「アサヒビールの奇跡」のあらましだが、スーパードライ発売時、東京本社営業部長として最前線で指揮を執っていたのが福地氏だった。スーパードライの大ヒットを受けて1988年に取締役に就任、1999年には社長に昇格した。

「スーパードライ」の試飲キャンペーンで自ら街頭でビールを配った福地氏(2001年撮影、写真:時事通信フォト)

 この経歴だけを見ると、スーパードライを売りまくった凄腕営業マンにも思えるが、見た目はいたって地味で、凄みを感じることはほとんどなかった。その代わりに、引き受けた仕事は着実にこなす、決断したら最後まで粘り強くやり抜く経営者だった。