グラバー園にあるトーマス・ブレーク・グラバー の銅像
(町田 明広:歴史学者)
磯永彦輔から長澤鼎へ
薩摩スチューデントの長澤鼎は、嘉永5年(1852)2月20日に生まれ、昭和9年(1934)3月1日に没している。82歳という、当時としてはかなりの長命であり、しかも、昭和まで生きていることは、驚嘆すべき事実ではなかろうか。
長澤の本名は、磯永彦輔であった。薩摩スチューデントとしてロンドンに渡航するにあたり、長澤の変名を用いたが、その後、この変名を本名にしている。長澤は言わずと知れた薩摩藩士であり、生家は代々天文方で、父親の磯永孫四郎は儒学者であった。
13歳の時、藩命でイギリスに薩摩スチューデントの一員として留学し、後にカリフォルニアに渡り、「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」「バロン・ナガサワ」と呼称されるに至った。
薩摩スチューデントは、元治元年(1864)6月に設置された開成所の生徒から多数選抜されている。開成所とは、薩英戦争(文久3年、1863)によって、海軍力の圧倒的な差を痛感したことを契機に、欧米列強に対抗できる軍事技術・諸科学および英蘭学の教育機関として設置されていた。長澤も開成所の生徒であったが、まだ13歳であった。
長澤が最年少の13歳で選ばれた事実は、長澤の学力が卓越していた証左であるが、この点は次回で詳述したい。

