池田長発 出典:尾佐竹猛『夷狄の国へ : 幕末遣外使節物語』万里閣書房
(町田 明広:歴史学者)
歴史的写真の中の池田長発
文久3年(1863)12月、幕府による派遣使節団はヨーロッパに向けて、フランスの軍艦ル・モンジュ号に乗船して長崎を出発した。正使外国奉行池田長発、副使外国奉行河津祐邦、目付河田煕に随員・従者が加わり、総勢33名という一団である。横浜鎖港談判という、極めて実現困難な交渉に挑むことが目的であった。
ところで、読者の皆さんはこの写真をどこかでご覧になったことがあるのではなかろうか。文久3年12月29日(1864年2月6日)、エジプト・ギザのスフィンクス前の使節団一行をイタリアの写真家アントニオ・ベアト(Antonio Beato)が撮影したものである。ひときわ高い位置に1人だけ映っているのが池田である。
スフィンクスで記念撮影する一行(1864年)
当時、スエズ運河が工事中であるため、カイロからアレキサンドリアまでは、汽車で移動しなければならなかった。今のように本数が多いわけではなく、何日も待たなければいけないこともあった。その間に、スフィンクスやミラミッド観光をする旅行者が多かったが、池田らも同様である。この写真は、当時の日本人がエジプトを訪れた貴重な記録として広く紹介されている。
