2025年2月9日、アイスホッケー女子、ミラノ・コルティナ五輪最終予選でのスマイルジャパン写真/西村尚己/アフロスポーツ
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(松原孝臣:ライター)

北京で初めて準々決勝に進出

 壁を突き破ることはできるか。

 アイスホッケー女子日本代表がメダルを目標に、大舞台に挑む。簡単ではなくても、 愛称「スマイルジャパン」に込められた思いとともに、自分たちの可能性を信じて臨む。

 振り返れば、たしかな足どりとともに、前へ進んできた。

 アイスホッケー女子がオリンピックの正式種目となったのは1998年、長野オリンピックのこと。このとき、日本は開催国枠で出場したが5戦全敗、最下位で大会を終えた。以降、出場権を獲得できず、大舞台に縁のないまま時は過ぎた。

 流れはソチオリンピック出場を目指す中で変わった。2012年、元カナダ代表でトリノ、バンクーバーの金メダリスト、カーラ・マクラウドがコーチに就任したことだ。

 世界屈指の強豪国で活躍したマクラウドは戦術面で変化をもたらした。特にディフェンスでは前線から積極的にプレスをかける方法を浸透させた。体格で劣るチームならではの戦い方だった。

 戦術だけではない。マクラウドがもたらしたのはポジティブにプレーすることだった。

 ソチ、平昌オリンピックに出場した足立友里恵は、2010年バンクーバーオリンピック最終予選の苦い思い出を語っている。

 このとき日本は、最後の対戦相手、中国に勝てば出場権を得られる状況で敗れ切符を逃した。中国は相性のいい相手であるはずだったが勝てなかった。

「ふつうのプレーをすれば勝てると思っていたんですけどできませんでした。1点先制されただけで負けたように沈んでしまったベンチを覚えています」

 プレッシャーを、緊張をどう克服すればよいのか。マクラウドは「何事も楽しめばよいプレーができます」と語り、選手に「SMILE」と声をかけ続けた。

 メンタル面でも変化した日本はソチオリンピックの最終予選を勝ち抜き、自力では初めて大舞台への出場を決めた。以来、「SMILE」はチームの出発点であり原点となった。

 ソチ以来、チームの体制は変わりつつも日本は連続してオリンピックに出場してきた。その中で少しずつ、力をつけていった。それは成績に表れている。

 2014年ソチは予選、順位決定戦を通じて全敗、最下位の8位。

 2018年平昌は予選、順位決定戦を通じて2勝3敗で6位。

 2022年北京は予選グループBを3勝1敗で1位通過、初めて準々決勝に進出。ここで世界ランキング3位のフィンランドに敗れたが大きな足跡を残した。

 北京後、オリンピック3大会で主将を務めた大澤ちほ、同じく3大会連続出場のエース久保英恵ら多くの選手が引退。チームは一新をよぎなくされた。

 その中でも引き続きプレーする選手、そして台頭してきた選手がいて、最終予選で1位、ミラノ・コルティナ出場を決めた。