撮影/積 紫乃
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(松原孝臣:ライター)

4年前は「まだまだ世界で戦える存在じゃない」

 晴れやかな表情でミラノ・コルティナオリンピック代表発表の記者会見に臨んでからしばらく時が過ぎた。

「世界選手権の代表に決まったときとはまた重みが違うというか、取材は3倍くらいありました。これもまた一つ新しい経験なのかなと捉えて、頑張ろうという気持ちになりました」

 フィギュアスケーター千葉百音(木下グループ)は穏やかな笑顔で語る。

 20歳でつかんだ初めてのオリンピックの代表だ。それは困難を乗り越えて手にすることができた大舞台への切符だった。

 流れるようなスケーティングをベースに、音楽を捉えて物語のように氷上で表現する。千葉百音は、彼女ならではのスケートを創りながら成長を続けてきた。

 昨シーズンはグランプリファイナルで2位、世界選手権で銅メダルを獲得。今シーズンもグランプリシリーズのスケートカナダで同シリーズ初優勝を飾ると続くフィンランディア杯でも優勝。世界で戦うスケーターとしての地歩を築いてきた。

 4年前はジュニアの選手だった。それからの歩みを、代表選出の翌日、こう語っている。

「4年前は、自分はまだまだ世界で戦える存在じゃないな、と感じていました。そこからシニアに上がっても、オリンピックに出るにはまだ未熟だなというふうに思っていました。その中で、昨シーズン、しっかり結果を残せてきたあたりで、自分が国際大会で評価していただけるスケーティングだとかプログラムを滑れるようになってきて、どういうふうに自分の良さを生かしていったらいいのかというのにフォーカスを当てられるようになってきたと思います。段階を踏んでと言いますか、出場までしっかりこぎつけられたと思います」

 まだまだ現実とは捉えられない位置からの4年間で夢を現実とすることができた。

 転機は2023年にあった。シニアに上がるシーズンを前に、生まれ育った、そしてスケートをしていた仙台から京都の「木下アカデミー」に拠点を移したことだ。

「いつから考えたのか、自分の中でもよく分かってはいないんですけど、ミラノ・コルティナオリンピックに出たいと考えたときに、高3に上がるタイミングでもっと自分を強化していかないといけないなというふうに強く感じたので、そのタイミングで移籍を決断しました。濱田コーチにも教えていただきたかったのが大きいです。自分のスケート人生の中でまずは一番頑張らなきゃいけないのはこの2年、3年だなと強く感じていて、一番の目標はミラノ・コルティナオリンピックに出場することだと強く意識するようになったのが決断するにあたって大きかったと思います」

 千葉本人が下した決断だった。つまり転機は外からやってきたのではなく、自ら作った転機であった。

 以来、大づかみに全体を見渡せば、順調に歩んできたと言える千葉だったが、今シーズン、大きな壁につきあたった。グランプリシリーズで連勝し、ポイントトップで進出したグランプリファイナルだ。ここでの成績もまた、オリンピックの代表選考に大きくかかわる重要な意味を持つ大会だった。

 千葉は上々の滑り出しを見せる。ショートプログラムはパーソナルベストを更新する好演技を披露して1位。

 フリーは最終滑走。だが、ジャンプの失敗が響き、最終的に5位で大会を終えることになった。試合後、失意の色は隠しようがなかった。

「かなり自分自身を責めました。結果を出せたはず、どうしたらいいかを必死に考えていました」