三木つばき 撮影/積 紫乃
(松原孝臣:ライター)
2026年2月より開催されるミラノ・コルティナオリンピック。各種目の魅力とともに、活躍が期待される選手をライターの松原孝臣さんが取材。今回はスノーボード・アルペンの三木つばき選手を紹介します。(全2回)
●スノーボード・アルペンの三木つばきインタビュー(後編)はこちら
世界選手権でパラレル大回転で銀メダル
同時にスタートした2人の選手が、ゴールを目指し加速していく。相手より速くゴールすれば勝利、ルールはシンプルだ。だが、旗門ぎりぎりの通過を狙う滑りの中にはターンテクニック、スピードのコントロール、ボディバランス、ボード操作……培ってきた努力が刻まれている。スノーボードアルペンはそんな奥深さと、転倒のリスクを負いつつ最高速度70キロに達するスピードとともに果敢に攻めるダイナミックさを持つ競技だ。
三木つばきはその世界に生きている。現在は日本体育大学4年生として勉学に励む。
日本代表として活躍を続ける三木は、昨シーズン、圧巻の活躍をみせた。ワールドカップではパラレル大回転、パラレル回転の2種目合計17戦で4度の優勝を含め13度表彰台に上がり、総合優勝を果たした。世界選手権では五輪種目のパラレル大回転で銀メダル、非五輪種目のパラレル回転で金メダルを獲得した。
来年2月のミラノ・コルティナ五輪でも頂点に立つ期待が寄せられているアルペンスノーボーダーは、「異色」と言っていい経歴を歩みながら進んできた。
長野県白馬村に生まれ、4歳でスノーボードを始めた。
翌年、静岡県掛川市に引っ越した。掛川市は近隣を含めスキー場のない地域だ。その地に暮らしながら、スノーボーダーとして成長し、日本代表として活躍するに至ったのである。雪上競技で活躍する選手と言えば、ほとんどの場合、雪国育ちである。不利ともとれる環境の中、それを可能にしたのは、周囲の支え、そして三木本人の覚悟にあった。
掛川市に引っ越したあと、スノーボードから離れざるを得なかった。だが、「スノーボードがしたい」という気持ちは消えない。6歳になると、冬季は毎週の金曜日夜、両親に連れられて長野のスキー場に出発し、スノーボードをして日曜夜に帰宅するというスタイルで再開する。
ただ、それにも限界があった。