福島城 撮影/西股 総生(以下同)
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(歴史ライター:西股 総生)

福島県下で近世城郭といったら…

 日本全国の県庁所在地には、藩政時代の城下町に由来するものが多い。それらの中でももっとも地味、つまり城や城下町が認識されていないのが、福島ではなかろうか。

 だいたい福島県下で近世城郭といったら、まずは会津鶴ヶ城。次に白河小峰城や二本松城がきて、城好きなら棚倉城や相馬中村城、あるいは三春城や磐城平城を指折るだろう。

 県庁所在地にある福島城の認知度は、よくては三春城・磐城平城あたりと同程度、城としての知名度や人気なら、戦国期の桑折西山城や向羽黒山城、織豊期の神指城・猪苗代城・鴫山城・久川城の方が上ではないか。でも、福島城はれっきとした近世城郭だし、遺構だってちゃんと残っている(ちょっぴりだけれど)。

県庁裏手にひっそり残る土塁。よくぞ残っていてくれました!これぞ地味城歩きの醍醐味である

 中世、この地には杉妻(すぎのめ)寺という立派な寺があって、城内には弘安6年(1283)の銘のある石造宝塔が遺っている。やがて戦国の世になると、杉妻寺を中心に城が構えられて杉目城とか大仏城などと呼ばれるようになった。伊達政宗の祖父である晴宗は、この大仏城を隠居城としている。

 その乱世が豊臣秀吉によって一統されると、大仏城は会津に入部した蒲生氏郷の支城となって、家臣の木村吉清が入る。大仏城が福島城と名を改めたのも、この頃だ。ほどなく蒲生氏が去ると当地は上杉氏の支城となったものの、寛文4年(1664)には天領となって、城も廃されたらしい。以後は譜代の本多氏やら堀田氏が領したり、再び天領に戻ったりと慌ただしい。

福島城に残る弘安6年銘の貴重な石塔。弘安6年といえば元寇の頃だ

 元禄15年(1702)に譜代の板倉氏が3万石で入ってようやく落ち着き、そのまま代を重ねて明治に至る。いったん廃された福島城が、近世城郭として再興されたのも板倉時代のことで、入封から宝永7年(1710)頃にかけて城普請が行われたようだ。

 泰平の元禄年間になってからの城普請というのも珍しいが、幕府が当地を仙道筋における要衝と見なしていたからこそであったろう。その高わずか3万石とはいえ、県庁所在地となるポテンシャルは充分に備わっていたわけである。

阿武隈川の対岸から眺めた福島城。右手の知事公舎が本丸、左手の県庁が二ノ丸跡

 その福島城は、阿武隈川の曲流部に面して築かれていて、平城とはいえなかなかの要害地形を見せる。城地には、明治になってから官公署や学校が次々と建てられ、昔日の面影を失ってしまったものの、現在知事公舎の建つあたりが本丸、隣の県庁のところが二ノ丸と、現在の行政機能が城のレイアウトを踏襲しているようで面白い。

知事公舎の前に建つ本丸の標柱

 県庁の裏手には目測で延長100メートルほど、土塁が残っていて貴重である。他にも、県庁と知事公舎との間にある紅葉山公園は城主庭園の名残だし、県庁に入る道路には大手門の標柱や説明板が立っていたりと、随所に城の痕跡をたどることができる。

 要は訪れる人が、その場所を城として見る気があるか、ないかの話。城として見る気持ちがあれば、城は自ずと見る者の脳裏にその姿を立ち現すものなのだ。

知事公舎(本丸)と県庁(二ノ丸)の間にある紅葉山公園は城主庭園の名残だ

 何より、福島駅から徒歩10分ほどと交通至便なのが嬉しい。福島市やその周辺にはよい温泉地も、美味しい食べ物も豊富にあるのだが、教えてあげない。交通至便な城と組み合わせて何をどう楽しむかは、自分で考えるのが大人の楽しみ方というものだ。

福島市や周辺は温泉も豊富だ。茅葺きの湯小屋なんかも風情があって楽しい

 さて、筆者は本サイトで毎月1つか2つ、全国各地の城を紹介しているが、これまでにも新潟県の村松城や岐阜市の加納城など、城マニアでもあまり注目していない地味な城を取り上げてきた。今後も折に触れてそんな城を、「日本地味城列伝」とでも銘打って取り上げてゆきたい(PVが伸びないと没になってしまうかもしれないが・笑)。