酒で眠れなくなると、催眠剤のアドルムをつかうようになった。そして、通常ならば2、3錠も飲めば十分なアドルムを一日40錠も飲む状態に陥っていく。

「芸術の表現と生命の燃焼が同時であつて、それで仆れる(著者注・たおれる)ものなら、私は仆れても構はないので、私は私の死後などは考へてゐない」—これが安吾の覚悟だった。と書くと格好いいが、いかに薬物にどっぷりだったかがわかるだろう。

薬物中毒の発作と狂気

 薬や酒の乱用は、やがて中毒症という形で安吾を苦しめることになる。アドルム中毒の根っこにあるのは覚せい剤中毒だったが、覚せい剤を止めないのでアドルムも止められない。

 狂気の発作も止まらなくなった。家から全裸で飛び出して丸太をもって暴れる。夜中に「今すぐに酒を買ってこい」とストップウオッチ片手に家人を恫喝する。二階から家財道具を階下に投げ飛ばす。そして、自分も二階の窓から飛び降りる。

(写真:産経新聞社)

 この時期の奇妙な行動についてはこう告白している。

「私は足が折れるだろうという覚悟はあった。然し、死ぬ筈はない。(中略)私は最後の手段として、二階から飛び降り、足を折るかも知れぬという危険にかえて、立ち直り、仕事を為しうる自信をつかむためのキッカケを生みだそうとしたゞけだ。自分をトコトンまで追いつめ、ためしてみることによって、仕事への立直りを見出そうと祈念したゞけだ」(「小さな山羊」)

 と後日になり、立ち直るために飛んだとこれまた格好いいことを書いているが、果たしてどこまで本当なのか。実際には、幻覚や幻聴が止まらなくなった安吾は、昭和24年(1949年)2月17日頃、東大病院の神経科に入院する。

 新聞は「安吾が狂った」「狂った安吾が3階の病室から飛び降りた」などと書きまくった。ちなみに、狂っていたかもしれないが、安吾の病室は1階だった。