支配下選手と育成選手の格差
10月のドラフト会議で、ソフトバンクから育成1位の指名を受けた日本学園高の投手、古川遼が入団を辞退した。育成も含めドラフトで指名された選手が入団を辞退したケースは、2016年の履正社高の投手、山口裕次郎が、日本ハムのドラフト6位指名を辞退して以来8年ぶりだ。
ドラフト指名制度が始まったのは1965年からだが、昭和の時代はドラフト指名されても辞退するケースは珍しくなかった。一方、当時は、ドラフト外でも入団することが可能だった。
しかし、ドラフト外での入団は1991年限りで廃止され、以後は日本の教育機関を終えた野球選手は、すべてドラフトを経てプロ野球に入団することとなった。そして、2005年に「育成ドラフト制度」ができて現在の形となった。
ドラフト制度が発足して来年で60年、日本の野球選手がプロ野球に進む唯一の手段として社会的認知が進む中、育成とは言えドラフトを辞退するのは極めて異例だが、その背景には「育成選手」と「一般の選手(支配下選手)」のステイタスの差が存在している。
現在、高校、大学を終えた野球選手が野球を続ける道としては、国内に限定すれば、社会人(企業チーム=正式には会社登録チーム)、社会人(クラブチーム=クラブ登録チーム)、独立リーグ、プロ野球ファームチーム、プロ野球(支配下)、プロ野球(育成)の6つがある。
これを実力的にランキングするとすれば、以下のようになるだろう。
1.プロ野球(支配下)
2.プロ野球(育成)、社会人(企業チーム)
3.社会人(クラブチーム)、独立リーグ、プロ野球ファームチーム
かつては、高校、大学を卒業した野球選手の進路としては、プロと社会人(企業チーム)しかなかった。しかし平成以降、企業の経営環境が変化し、企業チームは次々と廃部になっていった。