1969年2月1日、多摩川グラウンドでキャンプインした巨人の長嶋茂雄選手(左)と王貞治選手(写真:共同通信社)
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 2004年の「球界再編」から20年が経過した。いまさらながら「あの年に起こったこと」のインパクトは、日本野球史上で最大のものだったと思わざるを得ない。

「球界再編」の前後に起こった様々な改革によって、プロ野球のビジネスモデルは劇的に変わったのだ。テーマごとに、数回を費やして考えたい。

 まずはNPB球団が「地域密着型のマーケティング」に真剣に取り組み始めたことについて。

 これまで述べてきたように、日本のプロ野球は「巨人一強」「セ・リーグ優位」の時代が40年以上も続いていた。

「球団経営の赤字は親会社の広告宣伝費」という罠

 この時代のビジネスモデルは、セ・リーグの場合「巨人戦の放映権を主たる収入源とし、あとは入場料収入、その他」だった。

 パ・リーグは「主たる収入源は入場料収入、それ以外はないので親会社の補填恃み」だった。

 このコラムでも何度か出したが、1954年、国税庁は「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という通達を出し、

一 親会社が、各事業年度において球団に対して支出した金銭のうち、広告宣伝費の性質を有すると認められる部分の金額は、これを支出した事業年度の損金に算入するものとすること。

二 親会社が、球団の当該事業年度において生じた欠損金(野球事業から生じた欠損金に限る)を補てんするため支出した金銭は、球団の当該事業年度において生じた欠損金を限度として、当分のうち特に弊害のない限り、一の「広告宣伝費の性質を有するもの」として取り扱うものとすること。(以下略)

 と定めた。これによって親会社が球団に対して行う「損失補填」は、広告費扱いとなり、節税対策になった。

 筆者はこれが今に至るNPB球団の「自立できない体質」の根源だと思うが、これによってプロ野球球団の多くは、毎年のように赤字決算でありながら存続することができたのだ。