プリンストン大学が共学化で最も優先したこと
矢口:日本だけではなく、どこの社会でも大学は、もともとは「男性」が「男性」のために作った教育機関でした。東京大学に関しては、1946年に学部生入試の門戸が女性に対して開かれました。
しかし、それによって東大の男性を中心とした構造が大きく変わることはありませんでした。他の大学もそうだったと思いますが、エリート男性の視点で構築してきた構造を何ら変えることなく「女性が受験していい」「入学していい」というルールを設けたに過ぎなかったのです。
したがって、女性学生の受け入れが、大学自体のジェンダー平等を実現する手段とはなりませんでした。
私の専門は米国研究ですので、書籍内では海外事例として米国のプリンストン大学を紹介しました。プリンストン大学が女性の受け入れをはじめたのは、東大より20年以上も遅い1969年のことです。にもかかわらず、昨今のプリンストン大学では、50%近くが女性学生です。
この違いはどこからくるのか。
プリンストン大学は、女性学生を受け入れるにあたり、事前に委員会を立ち上げ、何が必要か綿密な調査を実施しました。このような動きは、日本の大学では全く見られませんでした。
そしてプリンストン大学は、共学化にあたり最も優先すべきことは女性学生をケアする女性職員を雇用することである、という結論に達しました。
1969年にプリンストン大学に入学する約150名の女性学生のために、大学側は3名の職員の雇用を決定しました。共学化当初のプリンストン大学が、マイノリティである女性学生にとって少しでも居心地の良いキャンパスを作ろうという意識があったことがうかがえます。
一方、日本では大学だけではなく社会全体がいまだに男性中心のままです。米国では、1960年代に公民権運動やフェミニズム運動が隆盛を迎えました。日本でも、1970年代に入ると女性解放運動が活発化しましたが、男性中心の社会で女性が対等に扱われるようになるには至りませんでした。
日本のジェンダーギャップ指数は、アジアでは最低レベルです。政治、経済、そして教育の現場でも、男性のための男性による男性組織が、いまだ根強く残っていると私は感じています。
なので、大学だけが異常なわけではなく、社会の中で、男性中心の構造的差別が脈々と引き継がれてきた、という背景があるのだと思います。
──なぜ、日本ではいまだに男性中心の社会が続いているのでしょうか。