2023年3月、英BBCが故・ジャニー喜多川氏による性加害問題を取り上げ、翌月には、元ジャニーズ・ジュニアのカウアン・オカモト氏が外国特派員協会で会見を開き、自身が受けた性被害について赤裸々に語った。その後、相次いだ実名告白を前にジャニーズ事務所は事実を認めて謝罪。社名を変更して被害者たちへの補償に注力している。
35年前から実名を出して訴え続けてきたジャニーズ性加害問題の第一人者で、ジャニーズ性加害問題当事者の会の元代表は今何を思うのか。『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』(日本ジャーナル出版)を上梓した平本淳也氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──本書の冒頭では、平本さんがどのようにしてジャニーズ事務所に入所したのかについて書かれています。
平本淳也氏(以下、平本):今ではレジェンドとなった大御所の先輩方が全盛期だった1970年代の歌謡曲の世界に憧れて、「どうしたらテレビの向こう側に行けるのだろう」と考えたのが小学生の頃でした。
「とりあえずテレビ局に行ってみよう」と思い、当時、神奈川県厚木市に住んでいましたが、各局の場所を調べ、電車やバスを乗り継いで、1時間から2時間かけてNHKから民放各局を実際に訪れて回りました。
この時代は、入口の守衛さんに「こんにちは」とか「おはようございます」なんて、さも関係者のように挨拶すれば、子どもがテレビ局の中まで入ることもできました。
僕自身、撮影現場に興味があり、実際にドラマやニュースのセットを覗いて回りました。キャストの子どもか関係者の子どもくらいに思われたのでしょう。警戒されることもありませんでした。
やがて強く憧れたのが、各局が力を入れて制作していた学園ドラマで、いつしか生徒役で出演したいという思いを持つようになりました。そうこうしているうちに、ジャニーズのタレントの方々が主役や目立つ配役で出演していたので、同じ事務所に入れば、同じことができるのではないかと考えたんです。
今のようにネットはありませんから、『明星』や『平凡』のようなアイドル雑誌を細かく読んで、ジャニーズの応募方法を探しました。
──応募されたのはおいくつの時ですか?
平本:13歳の時です。履歴書と写真を送りました。するとある日、ジャニー喜多川本人から電話がかかってきたんです。
「ユー、遊びに来れる?」と聞かれ、実際に行ったらオーディションもなく、「ユーは、今日からジャニーズのタレントだよ」と言われ、ストレートにジャニーズ入りを果たしてしまいました。それから、見よう見まねで踊る日々が始まりました。
──以前、カウアン・オカモト氏にインタビューした時にも、全く同じ話を聞きました。ジャニー喜多川氏は応募してきた人の写真などを見て、「これは」と思う応募者には直接電話をかけたそうですね。