「自分が負った傷をちゃんと振り返って理解するのに10年かかった」

平本:被害を受けているという認識を持ったとしても、ちゃんと言葉にして説明できるようになるまでには、そこから何年もかかります。

 僕は1985年の18歳の誕生日にジャニーズ事務所を退所し、1989年に初めて実名を出して被害を告白しましたが、自分が負った傷をちゃんと振り返って理解するのに、それからさらに10年かかりました。

 どういうことが起きて、どういう考えや思いがあって、どのように苦しんでいたのか、少年だった自分の気持ちを、大人になった自分が代弁する感覚です。それは、他の被害を受けたジュニアたちも同じです。

 ひどいケースは7歳や8歳で被害を受けています。その年齢の子どもにあれこれ質問したって分からないし、答えられない。説明する言葉さえまだ持っていない。親にも言えないし、言ったところで、親が信じるかどうかも分からない。

 外に向かって実名告白したって、こちらが嘘をついていると疑われる。いまだに「お前ら嘘をついている」「そんなことあるはずがない」と言ってくる人たちもいます。僕たちは、そういう人たちを「カルト」と呼んでいますけれど。

 僕の場合は、ジャニーズの性加害に関して、本を出して、幾度も記事を出して、動画でも語って、ようやく2023年に世の中が耳を貸してくれるようになりました。けれど、光GENJIやSMAPが活躍していた時期も含めて、長いこと声を上げ続けても全く実を結ばない日々が続きました。

 もちろん、ごくごく一部の出版業界の方々は発言の機会を与えてくれましたし、話を聞いてくれる人も少しはいた。しかしご存じの通り、世間の多くの人はぜんぜん関心を示さなかった。一番相手にしなかったのはテレビと新聞です。

──ジャニーズと関係が深いですからね。

平本:にもかかわらず、こうして発言すると「ジャニーが死んだ後に告発するなんてずるい」という人までいる。「誰に言ってんの?」と言いたいよね。ずっと僕の告発を無視し続けたのは、「記者会見に来ている、あなた方メディア全員でしょ!」と言いたい。

2019年7月10日、ジャニー喜多川氏の訃報を一面で伝える新聞各紙。果たして、天国へ旅立ったのだろうか(写真:ゲッティ/共同通信イメージズ)2019年7月10日、ジャニー喜多川氏の訃報を一面で伝える新聞各紙。果たして、天国へ旅立ったのだろうか(写真:ゲッティ/共同通信イメージズ)

──ジャニー喜多川という人物は生前、メディアに姿を現さず、顔写真も数枚しか残されていません。結局どんな人物だったのか、謎が多いと感じている人も多いと思います。

平本:性加害の問題が再燃するまでは、偉人として名を残しましたよね。2019年に東京ドームで開催されたジャニー喜多川のお別れ会には、(僕も茶化しに行ったけれど)関係者の部で約3500人、一般の部で約8万8000人が参加しました。それだけの人だという印象を残してこの世を去った。

 ジャニーはとてつもない強運の持ち主ですよ。これだけの罪を犯して罰を受けず、大して咎められることもなく、当然ちゃんと謝罪することもなければ、むしろ神として崇められた。そして、人々の記憶にしばらく伝説として残っていたのだから。(続く)

長野光(ながの・ひかる)
ビデオジャーナリスト
高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。