現状、約20%の東京大学(以下、東大)の女性学部生比率。多様性確保のため、女性比率を挙げたい東大の意志とは裏腹に、その割合はこの20年、横ばい状態である。その要因の一つに、幼少期から女性を取り巻く社会環境があると指摘するのは、矢口祐人氏(東京大学副学長、同大グローバル教育センター長)だ。
なぜ東大の女性学生の比率は変わらないのか、何をすれば女性学生が増えるのか。『なぜ東大は男だらけなのか』(集英社)を上梓した矢口氏に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
※前編「【周回遅れの東京大学①】女性東大生はお断り、ひと昔前まで実在した学生自治の差別的ルール」から読む
※本インタビュー記事では、東大と日本社会の持つ特定のジェンダー問題を浮き彫りにするため、二項対立的に「男性」と「女性」という言葉を用いている。また、大学生は成人であるため、「女子」という言葉は避け、あえて「女性」という表現を用いた。
──東大の女性用トイレの不足が、1960年代まで改善しなかったと書かれていました。なぜ東大は女性の衛生環境の整備に、それほどまで時間を要したのですか。
矢口:1946年、女性東大生1期生は衛生環境の改善を求めて、東大執行部に申し入れをしましたが、それが聞き入れられることはありませんでした。
プリンストン大学のように、米国の大学では共学化にあたって、さまざまな準備が行われました。しかし日本では、あくまでも「男性の大学に女性が入ってもいい」という程度の認識しかなかったのだと思います。
そもそも、日本の旧制大学の共学化は、大学が自主的に行ったものではなく、米国を中心とするGHQの命令によって実施されたものです。したがって、入学してくる女性のために何かしようという議論はほとんどありませんでした。終戦直後のさまざまな混乱や物資の不足も、これに拍車をかけていたものと思われます。
また、日本が戦後復興を遂げていった1950年代、60年代になってもマジョリティである男性側に、意識の変容はありませんでした。
東大の男性教員にしろ、学生にしろ「女性が東大に入るのは自由だが、それによって自分たちが変わる必要はない」という観念から逃れることはできなかったのでしょう。
しかし、平等なキャンパス、平等な社会を作るときこそ、マジョリティの意識が非常に重要であると私は考えています。
マイノリティが頑張れば良いのではないか、マイノリティがマジョリティに歩み寄るべきだ、という考え方では、平等な社会は作れません。マジョリティの意識をどう変えていくかという点は、真に平等な社会を構築するために不可欠な課題です。
──初期の女性東大生たちを、男性教員や学生はどのような目で見ていたのですか。
矢口:東大の学生新聞である『帝国大学新聞』(現『東京大学新聞』)では、1946年、初めての女性東大生を迎えた直後の記事で、女性東大生について「色とりどり華やかなただしあまり美しくはない」と表現していました。
今の時代、たとえ学生による新聞であっても、そんなことを書こうものなら大変なことになります。当時はそういうことが平然と許される時代だったのです。
また、女性に門戸を開いたと言っても、1946年の新入生1026人のうち、女性はわずか19人。割合で言うと、1.9%です。ひょっとすると、圧倒的少数派の女性の存在は、男性教員や学生の視界に入ることがなかったのかもしれません。