今も残る「東大は男のもの」という意識

──高校の教員や親の意識以外にも、変えていくべきものがたくさんあるということですね。

矢口:そうですね。家庭や高校だけでは不十分です。小学校から中学校、社会の隅々に至るまで、意識変容が必要です。

 ほかにも、私はマスメディアの報道の仕方にも違和感があります。東大に通う女性を「東大女子」と呼んで特殊化してしまっているように感じられるのです。「東大女子」という言葉は、プラスのイメージもありますが、反面、マイナスのイメージも持ち合わせています。

 マイナスのイメージがあるような言葉をなぜ使うのか、本当に使う必要があるのか。社会全体の問題として捉えて、皆で考え、変えていかなければなりません。

──「東大女子」と類似している言葉に「理系女子」という言葉があります。

矢口:「理系女子」も「東大女子」と同様、少数派を特殊化して一括りにするものです。もちろん、良い面もありますが、理工系の学部学科に進学した女性に対してマイナスのイメージを与えるものでもあります。

 実は、東大内では「理系女子」という言葉には、教員から批判的な声が上がっています。

 理系の男性を「理系男子」「リケダン」とわざわざ呼ぶことはありません。「理系女子」「リケジョ」という表現そのものが、そもそも理系は男性のものである、という前提に立った表現であるということに多くの人は気付いていないのだと思います。

「すべてが男性」ということが当たり前だった分野に、女性が新たに参入することになると、良くも悪くも女性を一括りにした概念的な差別が生じます。

 これは、1946年の東大と同じです。「男性のものである東大に女性が入ってくるのは構わない」としておきながら、自分は何も変わろうとせず、入ってきた女性を珍しがる。「東大女子」という言葉があるのは、女性比率の圧倒的な低さに加え、いまだに「東大は男のもの」という意識が多少なりとも残っているからかもしれません。

 そのような考え方のもと、やはり「理系女子」という表現は好ましくないという指摘は東大内では多く耳にします。理工学系の女性学生たちの多くも、おそらく自分たちが特殊だと思っていない人が多いのではないでしょうか。

 そもそも、理工学系の学部学科に進学する女性が少ないのは、才能の問題ではなくて社会の期待値の問題、ないしは社会の環境の問題です。今でもそうですが「女性は理数系教科が苦手」という先入観があると思います。これは、科学的な根拠のない、根も葉もないでたらめです。

 東大も同じです。東大に進学する女性が少ないのは、女性の能力が低いからでは断じてありません。これは、社会の環境が「女性を東大に入学させる」方向に、まだ思い切り舵を切れていないためだと思います。