明石による京都医学研究会・煉眞舎の設立

 明石博高は、西洋医学と称しながらも、多くが旧態依然とした漢方医流に過ぎないことを憂いた。そこで慶応元年(1865)、津藩医師の新宮凉閣・新宮凉民、幕府医官の柏

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