自衛官が背負う「国民の負託」

 自衛隊員は入隊にあたって「ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える」と宣誓書に著名する。

 自分の命を国家に提供するという誓約である。

 軍隊には国民保護の役割もあり、自衛隊も国民保護法でその任務を果たす。

 先進国の軍隊(といっても海・空軍の活動域は国民が常在しない海・空域であるため、国民と直接関わりを持つのは地上勤務の陸軍である)の規模は平均的に兵員1人が国民500~600人に対処する勘定で存在する。

 日本では陸上自衛隊(陸自、同様に海自、空自と略称する)ということになるが、現在の16万人弱の隊員では1人で約800人を担当することになり過大である。

 国民保護法による国民の命を背負うわけであるから先進国並みとするならば陸自要員は約23万人が必要となるが、現状はそうなっていないどころか大きく欠員している。

 隊員一人ひとりが欧米先進国の軍人よりも過重な責務を背負わされていることになる。

 パリのオリンピックやパラリンピックでは、選手たちの活躍で最多の金メダルを獲得し国民に感動と勇気を与えた。

 マスコミは選手の涙ぐましい努力を掘り起こし伝えている。日本を元気付け、若者たちに夢と希望を与えた功績は大きいが、何といっても個人の名誉が得られるのが大きい。

 対して、自衛官は地球よりも重いとされる人命を自分の命を懸けて背負っている。

 言葉では「国民の負託」となるが、具体的な事象に当てはめれば国民保護では隊員1人が約800人の人命を保護し、侵略事態においては国土、社会インフラ等が蹂躙されないように命を賭けて領域の防衛にあたるということである。

 この意味では自衛官はスポーツ選手の金メダルよりもはるかに重い責務を背負うが、普段の日常生活においての活動でないため国民には理解されがたい。

 いやむしろ誤解されているといっても過言ではない。

 筆者が九州や東北で部隊長として勤務していた時、企業から新入社員の部隊研修の依頼があった。自衛隊では本来の任務に差し支えない範囲でそうした企業の依頼を受け入れていた。

 研修の初めと終わりに所感を書いてもらうのを常としていた。九州でも東北でも郷土隊員が多く(九州では約半分、東北は80%以上)を占めており、自衛隊に対する理解度は高いとみなされていた。

 ところが、研修前の所感では刑務所よりひどいところ、男ばかりの集団で暴力が日常茶飯事などと聞いていたなどの記述がほとんどである。

 しかし、駐屯地の門を入った途端に印象は逆転していた。

 災害派遣では自衛隊員が警察や消防などよりも多くても、マスコミは「警察・消防等」と表現し、自衛隊員の存在を隠してきた。

 他方、20年も30年前も前に2年間だけ自衛隊に勤務した者が犯罪等に関わると直近の仕事には触れないで「元自衛隊員」と報道して平然としてきた。

 こうしたことからも自衛隊に対する印象は主としてマスコミが作り上げたのではないだろうか。

 研修などはいまも可能な範囲で続いており、所感に大きな変化はないようだ。

 自衛隊の責務である防衛は自分の命を国家に預けることでもあり、その選択は容易ではない。

 そのことをしっかり国民が理解するためには1日でも自衛隊を研修してもらうことである。