航空閲覧式に出席した岸田文雄首相(2023年11月11日、写真:UPI/アフロ)

 前稿で防衛省・自衛隊内部に巣食う監察制度の形骸化、情報(および保全)の軽視、高級幹部教育・人事の欠陥、ならびに訓練の実態などについて記述し、倫理観の欠如を批判した。

 出身母体の自衛隊がいざという時、国民の負託に応え得るためである。

 ただ防衛省・自衛隊の名誉のために一言すれば、自衛隊は有事に備えるという特殊な任務のために、ほとんど国民との接触がない駐屯地・分屯地(海空自は基地と呼称)や演習場で教育・訓練に没頭している。

 国民に成果が見えるのは災害派遣や海外で行う平和維持活動(PKO)等で活躍する姿でしかない。

 このところ災害派遣が頻繁で、自衛隊の活躍は国民に好意をもって迎えられているが、自衛隊の本来任務は戦争が起きないように最新の武器・弾薬を装備し、訓練で十分に鍛え上げた部隊となることである。

 政治の決定で必要に応じて国内(今日はPKOなどで海外も含むが)のどこにでも運用され、危険を顧みずに国民の負託に応えると宣誓して24時間勤務の態勢をとっており、居住にも指定・制限があるなどから特別職の国家公務員とされている。

 しかし、こうした自衛隊の特殊な状況が国民にばかりでなく、政治をはじめ、他官庁、地方自治体等にも理解され難く、切歯扼腕、痺れを切らしているのが現実である。

 以下具体的に記述する。

最高指揮官の認識に乏しい総理大臣

 国家の存続は安全保障に関わる最重要事で、所掌する防衛大臣(以前は防衛庁長官)は閣僚の中でも最重要閣僚でなければならないと思われる。

 しかし、現実は全く反対である。

 ましてや国家運営に関わる総理大臣ともなれば安全保障・防衛に関心がなければならない。

 そのことをしっかり把握していたのは田中角栄、中曽根康弘、そして安倍晋三の3氏ではなかっただろうか。

 石原慎太郎著『天才』は角栄氏の物語であるが、大臣に指名されそうになった時、防衛庁長官を希望したそうである。

 しかし、時の首相は別の要職につかせ、希望は果たせなかった。

 中曽根氏はかねて、首相を目指す者は防衛庁長官を経験すべきだと発言していたし、実際に長官に就任した。

 安倍氏は防衛庁長官にこそなれなかったが、総理府や内閣府の外局でしかなかった防衛庁を独立した政策官庁の防衛省に昇格させ、首相を目指していると見られた小池百合子氏や稲田朋美氏を防衛大臣に任命した。

 総理大臣は自衛隊の最高指揮官であるが、実はその認識を持って総理になったものは少ない。

 なぜなら、制服自衛官の最高位にある統合幕僚長(以前は統合幕僚会議議長)から直接報告受けした総理は、安倍総理になるまではほとんどいなかった。

 最高指揮官として自衛隊の高級幹部である師団長や方面総監などを一堂に集めて訓示する会同が1年に1回ある。

 最高指揮官が自衛隊を統率するにあたっての信念を直接話す唯一の機会である。数日後に総辞職する予定であったとはいえ、国内にいて出席しなかったのは福田康夫氏ただ一人だ。

 次期総理が任命されるまでは福田氏が最高指揮官であることに変わりはなかったのだから、自衛隊的にいえば任務放棄である。

 しかし、この重大事をマスコミが取り上げて報道することはなかった。

 最高指揮官という認識があるならば、普段から自衛官を含めた関係者から情報を収集し、「どういう状況にあるのか」「(不足があるならば)これではいけない、抑止力を備えた自衛隊に」と思うのが当然ではないだろうか。

 その指示はまず防衛庁長官(現防衛大臣)に行くだろう。