ただ、それもビジネスだ。消費者に受け入れられなければ、それまでのことだ。食べたくない人は、食べなければいい。強制しているわけでもない。

コオロギ食も「危機への備え」の一環

 遺伝子組み換え作物(GMO)の作付けが主流の米国では、必須アミノ酸のひとつリジンを多量に含んだトウモロコシが開発された。ところが、その種子を商品化したところで、米国ではまったく売れなかった。リジンが欲しければ、作物からでなくても、サプリメントで補えば済むというのが理由だった。選択肢はそれを購入する側にある。

 ただし、昆虫食の商売や研究の自由すら認めないというのもどうかしている。1年前のロシアによるウクライナ侵攻によって、世界の食料危機が現実のものとなり、サプライチェーンの混乱で生活を脅かされている現状からしても、不測の事態に備えた研究の必要性は認識できるはずだ。

 そこへいくと、徳島の高校の取り組みや敷島製パンの商品化を伝えるメディアにも疑問が残る。

 報道によると、小松島西高校では生徒たちが市販の乾燥食用コオロギを食べるゲームをしていたのを教諭が見たことが、コオロギ給食導入のきっかけだった。教諭も食べてみて、その美味しさに驚き、SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)の学習の一環で食料危機問題や食品ロスについて、生徒たちに考えてもらえる教材になると考えたという。

 敷島製パンの取り組みを私が見たテレビ報道も、SDGsに貼り付けた企画だった。

 しかし、SDGsとは17のゴール(目標)を設定して成り立っている。その1番に掲げられているのが「1 貧困をなくそう」だ。虫を食べるということは、貧しさの裏返しでもある。そのことは子ども心に知った。だから、昆虫食が必要となる社会など望みたくもない。そのための持続可能性が求められているはずなのに、どこか目新しさと嫌悪感だけで議論が進んでいることが異様に疲れる。