
地下鉄サリン事件から30年目の3月20日を迎えました。
当時10歳だった子供も40歳、そこそこ分別のついた年配だった人は社会の中高齢層となり、現在の若い世代は「サリン」も「オウム」も実感を持っては知りません。
ここ10年ほど、私が訊ねる母集団は東京大学生など極端に偏ったものではありますが、「諸君と同じ教養学部生が、ごく普通に暮らしていた延長で起きた事件」として話すと、一様にびっくりします。
オウムに実感がない度合い、風化は否みようがありません。
2018年7月、「麻原彰晃」こと松本智津夫以下、13人のオウム事犯が最高刑で命を落として以降、私はオウム関連の筆を折ると「アエラ」誌上で明言し、少数の例外を除いて基本的に発言をしていません。
この間、いくつかのメディアから取材協力の問い合わせはありました。大半は即座に断りましたが、良心的と思った企画には自分なりに情報の提供などもしました。
今日は30年の区切りでもあり、あの頃も、また今も変わらず、むしろ悪化の傾向が見られる趨勢もあるので、あえて自ら禁をやぶり「オウム以前」の背景など再発防止に役立つ内容を記しておこうと思います。
大学学部1年からの友人で、共に東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科物理学専攻課程で学んだ豊田亨君(享年50)のケースを中心に、2030年代にも繰り返し得る「オウム型のリスク」を考えてみます。
内容の本質は「さよなら、サイレント・ネイビー」に記したものと変わりません。
ただ、この本も20年を経過したわけで、その間も「失われた20年」「30年」は続いており、決して過去とは思うことができないのです。
「なぜ理系高学歴エリートが?」商法は有害
オウムや地下鉄サリン事件に関連して、いまだに性懲りもなく「なぜ理系高学歴エリートが・・・」といった見出しで原稿が書かれ、それが読まれる傾向があります。
どうしてそういうものが書かれるかと言えば、それが「読まれるから」「売れるから」というのが、ここ20年、こうした商法を観察してきた私の結論です。
再発防止の逆を行く最低最悪の商売と断じざるを得ません。
「なぜ理系高学歴エリートが」系の話には、すでに20年前、その中心で自分自身も育った私を含め、誰の目にも明らかな結論が出ています。
でも、それは大して「面白くない」。メディアが喜ぶ、ビューが立つような話ではありません。
30年前のあの日、霞が関で、中目黒で、新宿で、聖路加病院で、何があったか、といったドキュメント、あるいは「松本サリン事件」の現場、5月の「上九一色村突入」の瞬間など戦場のような現実があったのは間違いありません。
しかし、それはオウムにまつわる長い時間と事実のなかでは、最も極端、例外的な現場になっていた。
多くの「信者」たちの意識やその日常は、もっと目立たないものだったはずです。
ということで、公には筆を折っても、私が毎学期、あらゆる授業やゼミナールで必ず話すことを記してみます。
もし「あなた」(文系理系関係なく、男子学生が多い大学生向けの話です)が、スポーツの練習などを終え、友達と少人数で大学の正門を出、帰宅しようか、友達とどこかに出かけようか、といった気分で歩いていたとして、突然、あまり学内では見かけないカワイイ系の女子2人組に、
「あのー ちょっとアンケートに答えてもらえませんか? 吉祥寺にスペースがあるんですけど・・・」と呼び止められたら、どうだろう?
足を止めたりはしないだろうか?
「健康に関する意識調査なんですけど・・・」とか、毒にも薬にもならなさそうな内容で、時間に余裕があれば、足を止める可能性が、私だって低くないと思います。
一通り簡単なアンケートを終えた後、「私たち、カレーとヨガのサークルなんですけど、もし良かったら試食のモニターやってもらえませんか?」などと声を掛けられたら・・・。
地方から出て来て、寮生活とか下宿住まいだったりしたら、友達と一緒という気安さもあり、先方も2人イイ感じの子が誘っているわけで「腹も減ってるし、行ってみようか」とは、ならないでしょうか?
ざっと、こんな感じで騙され始めた。ここには「理系」も「エリート」も関係ない。誰だって騙されるリスクがある。
「オウム」と東大生の出会いの多くは、これそのままではないにしろ、およそカルト教団とか、極端な教義といった面を伏せた、こうした勧誘、オルグから始まっています。
そして、半年1年とそうした平凡な人間関係が築かれ、抜けるに抜けられない内輪感が漂いだしてから、「実は・・・」として「選挙活動」などのワークが織り込まれ始めていった。
私の友人、豊田君の場合は、少林寺拳法のサークルに入っており、教団がいまだ「オウム神仙の会」と称していた大学1年次にはその存在を知るわけですが、実際に「出家」こと、強制的に「富士山総本部」に拉致されるのは修士2年が終わり、修士論文を提出した後の春休みで、5年以上の時間が経過していました。
何か特殊な「理系エリート」なるものが、教団の教義にハマって・・・式の考察を、若い世代の筆者が書くものも見かけましたが、当時の現実を知るものとしてはSF的想像をたくましくしている感を持ちました。
オウム教団は、実にまったりとした、ごく当たり前の日常に根を生やした「準構成員」的なネットワークが一番タチが悪い。
すでに服装からしておかしなカルトになってしまった後のケース以上に、普通に見える段階で「早期発見」して「元から絶つ」のが大事と、特に教養学部1、2年生向けの講義やゼミでは、徹底して強調するようにしています。