「一人をつるし上げ溜飲を降ろす」社会体質
最後は、豊田君自身が最期に語っていた、日本の救いようのない社会体質を記しておきたいと思います。それは
「一人をつるし上げて溜飲を降ろし」大多数は関係なかったことにして思考停止、忘却、そしてまた同じ過ちを繰り返すという悪循環です。
豊田君への最高刑の執行後、正確には、遺品とともに遺骨を引きとり、故郷に送り返した後になって、私は、20年間続いた小菅の拘置所での接見がどんなものだったか、少しだけメディアに記しました。
一言でいうと、それは「(私が)冗談ばかり言う」「集中できる興味深いテーマを巡るディスカッション」が大半で、拘置所の中という、暗い雰囲気とはかなりかけ離れたものになるよう、意識して努めました。
なぜといって、そういう時間がないと、人間は容易に拘禁症状から精神に変調を来たし、普通の思考もできなくなってしまうから。
本人は生前、拘置所の中で自分はいつも反省していなければならないのだから、そういう消息は外には出さないでほしいと言っていました。ですので、生前はずっと伏せていました。
しかし、現実には、共に卒業研究で指導していただいた山本祐靖研究室の岸田隆助手など、物理の専門の話題で豊田君と長く交流された先輩もおられます。
私も、一緒に論文を書いてもらったり、トピックスとしては暗号資産とかブロックチェーンとか、その時々の知的に興味深い話題を提供するディスカッションを彼と共にした。
1999年から2018年までまる20年間の接見の大半を、大学・大学院時代と変わらない一友人として、笑顔と知的な議論だけで時間を共にするようにしました。
その可否は分かりません。しかし何にしろ、彼は最期の最期まで正気を失うことなく、執行当日も自分で決着をつける覚悟で自分の足で歩いたことは分かります。
私はその日接見の約束をしていたので執行場と考えられる場所から200メートルほどの、東京拘置所、一般面会待合室にいましたが、そのことは確かに理解しています。
さて、20年にわたって冗談しかいわなかった私たちの接見ですが、第1陣として「麻原」こと松本智津夫たち7人が執行されてからの3週間は、私自身にとっても生き地獄で、執行後1か月ほどは体調も元には戻りませんでした。
そんななかで彼に、珍しく訊いたのが「何を言い残しておきたいか?」という問いで、そこで豊田君が語ったのが、
「日本社会は、誰かスケープゴートを見つけて、その一人を吊るし上げにすると、喉元すぎれば熱さを忘れる、式で忘れてしまう。何も学習せず、何も改まらない。自分は自分の責任を取る覚悟はできているけれど、そのことが残念でならない」
という言葉でした。
3週間、土日を除いて、一日も彼を一人にしないよう予定を組んで、私は都合4回、最期の時期を共にしましたが、そのなかで2回、同じことを彼は繰り返した。
2018年7月に自分で断言した「オウム断筆」を、自分自身で破って例外的に本稿を準備したのは、これを記さなければ、と思ったからです。
日本社会は、2025年も、2100年も2500年も(そこまで日本や地球環境がもてばよいのですが)誰かスケープゴートを作り出し、それを吊るし上げにして溜飲を下げ、何も学ばず、何も反省しない風土は、多分、改まらないでしょう。
でも、そんなことでは何一つ、価値ある方向に物事が進むことは期待できません。
本稿読んで下さった若い世代の一人でも、二人でも、確率的に「そうではない」人が増えることを希って、一つひとつ伝えること。
地味で地道な日常、平穏無事に見えて、実はなによりスリリングな人類への貢献の知的冒険が可能であることを、一人ずつでよい、確かに自分のものにして、自らの足で歩いて行ける人を育て、応援すること。
それ以外に、私たちにできる事はないというのが、地下鉄サリン事件から30年、多くのオウム事犯も学んだ東大も教官生活27年目の、等身大の思いにほかなりません。