広島・平和記念公園を訪れ原爆慰霊碑に祈りをささげる児童ら=2011年7月(写真:共同通信社)
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「被爆者の話を聞いてその内容を伝えていく、それだけでいいのかなあって」。昨年、広島市内でのある取材現場で話を聞いた学生が、言葉を慎重に選びながらそう言った。核兵器のない世界を考える、被爆80年の特別講座に参加した彼女は、以前から熱心に「語り継ぎ」の平和活動に取り組んできたが、どこか消化不良のようなものをずっと抱え続けてきたという。

核兵器使用を前提に議論することはタブーか

 参加のきっかけは、プログラムの中に米国研修で核抑止論について学ぶ内容があったからだった。講座の集大成は「核兵器が使用された場合の考えられる最悪のシナリオが何か」をまず想定すること。その上で、それを防ぐために取りうるべき手段は何かを検討すること。「核兵器が使用されることを前提にしているから、タブーみたいなところがあるし、批判されてもおかしくない。でも、広島や長崎がこれだけ訴えてきているのになぜ核兵器はなくならないのか。現実問題を考えるべきだと思って参加しました」。彼女は言った。

 核兵器の文脈で「タブー」といえば「核のタブー」、つまり核兵器は二度と使用してはならないという規範として広く知られている。2024年、ノルウェー・ノーベル委員会が、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)にノーベル平和賞を授賞した際のスピーチでも触れられた。

 だが、若い学生の口から飛び出した「タブー」はそれとは異なるものだった。核兵器の被害者の前で、核兵器をもし使ったら、などという議論をすること自体が禁忌事項だというようなタブー。いわば「広島の(ヒロシマの)タブー」とでも言おうか。