「被爆者の中にも核抑止論を支持する人がいるが…」
そんな投げかけを受け、見渡してみれば、ヒロシマのタブーは他にもある。
日本被団協の都道府県単位のネットワークの中で、広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)だけ、全く同名の組織が二つある。冷戦期に分裂したまま、今に至っているからだ。だが、それをそれとして議論はしない、という空気は、まことしやかに漂っている。それもまた一つの、ヒロシマのタブー。
いみじくも、年末にマスメディアに内定が決まった若者たちの前で講義をした際、そのことについての考えも問われた。日本被団協傘下の正式な団体として認められている方を「広島県被団協」として先に触れ、その次にオブザーバー参加である別の団体の方を、「もう一つの広島県被団協」として言及する。それは地元の新聞報道ではもはや鉄板ルールになっている。
「それに、被爆者の中には核抑止論を支持する人もいるのに、ないものとされてしまっていますよね」。彼女はそうも言った。
「大人が敷いたレールの上を歩かされているような気がする」。取材の最後の方での彼女の言葉はなかなかに辛辣だった。彼女の言う「大人が敷いたレール」というのは、そういうヒロシマのタブーのようなものを避けて通る平和教育のことを差している。広島で育ってきた彼女と違って、広島生まれながら広島では育っていない私だが、そう理解した。
かつては違ったかもしれない。だが、小学生の我が子たちが今まさに受けている平和教育にも、先をゆく世代の広島市民として、「何かが足りない」感を常に抱く。公教育における平和教育のみならず、公権力による「平和行政」にもそれが言えるようにも思う。何らかの形で広島を批判することその自体がタブー視されているようにすら日々思う。