日本の伝統的建築物とは木材の使い方が全く違っている(写真は奈良の興福寺、PennyによるPixabayからの画像)

 前回前々回と私自身の研究室が所在するビルに即して、隈研吾氏の疑似「木造建築」の特徴と寿命を考えました。

 そこでの小結論として、我が国数千年の歴史を振り返っても、「天地根元造」や伊勢神宮の顰(ひそみ)に倣っても、あの種の「木造風」構築物の寿命は、まあもって20年程度。

「遷宮」の伝統に従って建て替えるのが妥当という常識的なラインを、傍証、根拠などとともに示しました。

 例えば、編集部が準備してくれた冒頭の写真、奈良の興福寺、南円堂の現在の建物は、フランス革命と同じ1789(寛政元)年の建て替えで、既に236年経過、重要文化財で、法定年限で取り壊しといった代物ではありません。

 以下は本連載長年の愛読者、ハンドルネーム「好奇真空管」さんからの情報ですが、隈氏は「木造を大規模な建築で使うようになって、まだ20年ほどですから、いわば実験段階なんですよね。その中でいろんなことが今起こっている。今、そういう模索の期間です」と語っているとのこと。

 ただこれ、隈氏のは「木造」ではないですね。構造そのものを木材は支えていないから。

 だいたい、日本の大規模な「木造建築」は奈良の大仏殿(創建は奈良時代、現在のものは1709年再建=316年目)でも吉野ヶ里遺跡(約2500年前)でも三内丸山遺跡(約5900年前)でも立派に木材が構造自体を支える本物の木造でかつ物理的、化学的に様々な工夫が凝らされています。

 先ほど引用したのは教授職としても先輩にあたり、建築史も熟知した隈氏の発言ですから、あくまで、隈氏の事務所で「木造風意匠」の試行錯誤を、ここ20年ほどやってみた「実験段階」という話でしょう。

 つまり試行錯誤に対する責任は、しっかり事務所が負って施主には迷惑をかけないという建設的なマニフェストとして読みました。

 しかし、この問題に私が注目したのは、隈研吾氏の建物ではなく、建築家の山本理顕さんとご相談している「大阪万博」とりわけ「大屋根リング」の問題を考えるため、でありました。

 山本理顕さんは、実に堅実な観点から、開催1か月を切った段階でも「万博の1年延期」を正味で訴えておられます。

 5月にはシンポジウムも予定しています。そこでも扱うので、今回は「大屋根リング」の「廃材」の問題を考えてみたいと思います。

 このところ「大屋根リング」の土台が、波に侵食されて崩れ始めた事実がニュースをにぎわし始めましたが、風化するのは土台ばかりではない。

 木材も様々な影響を被っているはずです。

外海の風雨に晒される木材の条件

「宮島・大鳥居」のケース

 最初に、結論を歴史と伝統に立って示しておきます。

 広島の厳島神社、安芸の宮島の大鳥居は、多くの読者がご存じでしょう。あれ、潮の干満で水没するエリアに建てられていますね?

 何色ですか?

 赤いですよね。「丹塗り(にぬり)」と言います。原料は酸化鉛や辰砂、つまり、水銀など重金属の化合物で表面加工している。

 主柱はクスノキの自然木、周囲の支持材はスギの自然木で、樹齢1000年という巨木をそのまま生かし、かつ金属酸化物などで入念な表面加工を施す「棟梁の知恵」が、1000年前の日本には既に存在していた。

 厳島神社自体は飛鳥時代創建との社伝ですが、大鳥居は平清盛が指導して1168年頃に建造、現在の鳥居は9代目で1875年造とのことで、ちょうど150年目にあたります。

 1950年、建造から75年目に大きな改修があったそうですが、いまもしっかり建っています。

 1000年の歴史を振り返れば台風や落雷で幾度も倒壊、大破を繰り返してきましたが、大阪万博のように半年で取り壊しという事例は(史料がないので推察になりますが)まず考えにくい。

 戦国時代、毛利隆元が建てた大鳥居も150年以上保ったようです。

 つまり単なる風雨だけでなく、潮流や海風の厳しい自然に抗って、日本の木造寺社建築は1500年来の伝統、莫大な叡智を持つわけです。

 これまで2回にわたって紹介してきた、東京大学にある隈研吾氏の疑似木造建築とは全く別の思想が脈づいている。

 この違いはまた、詳細な資料が公開されていない、半年の期間限定で作られ壊される「大屋根リング」にも、共通していると思われるのです。